- 自炊宣言

2004/04/06/Tue.自炊宣言

前からやろうやろうと思っていた自炊をついに始めた T です。こんばんは。

昨日今日と、立て続けに就職関連の用事があったのだが、終わるたびに財布の中身がゴッソリと減っている。大して使った記憶もないのに、いつも予想以上になくなっているのは何故か。就職活動で金をケチろうなどとは露思わぬが、かと言って、裏山に金の成る木が生えているわけでもない。

コンビニに頼り切りの一人暮らしの男が、一番最初に節約するべきは食費である。そこで自炊というわけだ。なに、バイクを買ったときなどは、ほぼ2年にわたって自炊を続けていたのだ。あの頃に比べて暇がなくなったとは言え、やってやれないことはないだろう。

そういうわけで、しばらく自炊日記にしようと思う。時間がない一人暮らしの自炊のメニューは、

  1. 一度に大量に作れること。
  2. 日持ちすること。
  3. 材料費が安いこと。
  4. 自分が好きなものであること。

このあたりがポイントになってくるのではないか。見落とされがちな (4) も結構大事な要素ではないかと俺は思う。いくら大量に作っても、喰うのが苦痛であれば意味がない。

俺の場合、この四つの条件を全て満たすのが、カレーやシチューといった汁物である。これが一番良い。次点で味噌汁と魚のコンボが入るが、コンロが一つしかない我が台所では、同時に作れないのが難点である。その次が鍋か。これも楽だが、暖かくなっていくこれからの季節に作る気はしないのが残念だ。

さて、そういうわけで今夜はシチューを作った。実家のシチューは大抵牛肉だったので、牛肉を買おうとしたのだが、スーバーにはバカ高い国産牛しかなかったので鶏肉にした。それもこれも狂牛病のせいだ。吉野家からは牛丼が消えるし、困ったものである。

とは言え、日本政府のアメリカ産牛肉禁輸措置は正しい行為である。米国政府に対する全頭検査の要請も当然。悪性プリオンは神経系にしか存在しないとか、牛肉食っても人間に感染する確率は恐ろしく低いであるとか、それはそうなのだが、「それでも牛肉食って感染したらどうなるのか?」と考えるのが政治家の頭。全頭検査の要請は国民を守るために「しなければならない」ことなのである。米国が応じるかどうかは問題でない。

ポーズと言えばポーズなのかもしれない。産業界からの突き上げもあるだろうし、日本政府も牛肉輸入を早く再開したいというのが実情だろう。それでも、国家が国民を守るというポーズすらしなくなったら、その国は早晩終焉を迎えるであろうというのは歴史の教えるところである。

ところで、一方の吉野家であるが、これも気骨が入っていたな。政府が禁輸措置をするということは、日本政府の見解として「牛肉を食うと狂牛病に感染する恐れがある」と声明を出したことと等しい。それを受けても、「在庫がある限り牛丼を提供する」という吉野家は、前時代なら国家反逆罪である。

しかし、これって吉野家も正しいんだよな。常識的な判断として、牛肉を食っても感染はしない。吉野家も客もそう思っていて、その上で客は吉野家に牛丼を求めているのだから、これは成立する。資本主義として健康的なのじゃないかな。実は、吉野家が牛丼を出し続けると表明したときに、俺は日本政府が何らかの警告を出すのではないかと思っていたのだが、どうも何も出なかったようだ。これも良かった。

禁輸措置はしているけれど、我々だって必ず感染するとは言っていない、吉野家なら調理も品質管理もまあ大丈夫だろう、それくらいで一企業にゴタゴタ文句は言わねえよ、という感じだろうか。これも健全な態度だと思う。最近の時事問題の中では、なかなか筋の通った展開だったので、長くなったが書いてみた。

いつの間にか、自炊から相当話が逸れてしまった。いつも通りか。それに、明日は今日のシチューを食うから自炊もしないだろうし。ま、しばらく続けてみよう。