- 隠居

2004/03/04/Thu.隠居

隠居に憧れる T です。こんばんは。

我が豪邸は 6畳である。こんな話を祖父母や年配の方にすると、必ず「狭い」と言われる。それは間違いないのだが、恐らく、彼等が思っているほど俺の感覚では狭くはない。これは多分、彼等の世代の住居と俺の世代の住居では、単位面積当たりの情報密度が全然違うからではないかと最近気付いた。

身近な例で言えば、MD などが良い例であろう。俺の本棚の片隅に積んである MD に収録されている曲を、全部レコードで集めるとどれほどの体積になるか。ビデオテープと DVD などもその一例だ。最近は何でも文庫になるようになったし、何しろパソコンとインターネットの存在がデカい。ネットのおかげで買わずに済んだ本がどれほどあることか。家電製品も小型で高性能になった。折畳み自転車、折畳みベッド、現代日本の工業製品に「コンパクト」という概念を無視したデザインは成り立たない。

2世代前の様式で生活するなら、俺の生活は絶対に 6畳では成立しないだろう。だから「狭い」と言われる。誰か、都市論の研究で「可処分面積率の変遷」でもやったら面白いんだが。可処分面積というのは俺の造語だが、この率は絶対に上がっていると思う。

現代では、誰もが鴨長明の方丈庵と同じ面積で生活することができる。隠居という言葉がなくなるわけだ。