- 普遍論

2004/02/22/Sun.普遍論

鼻水が止まらない T です。こんばんは。

ただ日常を垂れ流すだけでは芸がないと思い、数カ月前から、意図的に読み物めいた体裁の日記を書こうと努力している。毎日は中々難しいのだが。新聞や雑誌によくあるような、目の休め所としてのコラムのような感じで書いている。実際に書いたことはないけど。

特に気負っているわけでもないが、唯一の心構えとしては、何らかの普遍性があればなあ、ということだろうか。いや、別に個人的なことでも構わないと思うのだが、一つでも普遍的なことでも書いてあれば、後から読み返すときに面白いかも、という期待がある(この日記の最終的な目的は、10年後に自分で再読して楽しむことなんで……)。

一口に普遍性といっても、そこには様々な幅があるわけで、「普遍」=「いつ、どこで、誰にでも通じる」といった、辞書通りの可能性はハナから信じていない。要するに、この日記が日本語で書かれている時点で、その内容の普遍性は、日本語が読める人という集合に最大範囲が限定されてしまう。限定的普遍性というと、語として破綻しているようだが、それが実際のあり方ではないか。英語だって、誰もが読めるわけじゃない。

日記の内容によっては、俺のような保守的な男性にしか通じないような普遍性を示すこともあるだろう。ここまで限定されると、それが果たして普遍と言えるかわからないが、うまい日本語がない。ネイティブじゃないので自信はないが、これが恐らく「ローカル」ということではないか。「local」に対する、しっくりとした単一の訳語がないという事実は、多分、日本人の島国単一民族という性質に由来すると思う。

こういう人間から見ると、「いつ、どこで、誰にでも通じる」という「グローバル」なる思想は、誇大妄想の産物としか思えない。憶測だが、これはキリスト教の影響が大きいのではないか。

文化はローカルで、文明はグローバルだと言ったのは、確か司馬遼太郎だ。突然思い出した。記憶があやふやだが、『アメリカ素描』という紀行文で書いていたと思う。文化は不合理で、文明は合理的とも書いていたんじゃなかったかな。< 今日の日記の中で、一番普遍的な情報。