- 回心

2004/02/03/Tue.回心

夢は比較的よく見る T です。こんばんは。

昨夜の夢は凄かった。あまりに素晴らしく、感動して目が覚めた。こんなことは初めてだ。目覚めてからも布団の中で何回も何回も反芻した。そんなことをしているうちに泣きそうになった。何てことだ。この俺が。

忘れるのが勿体なさ過ぎて、心の揺れが新鮮なうちに書き留めておこうと思い、パソコンで誤字脱字もお構いなしに急いで打ち込んだ。一通り書き上げ、まだ頭に残っているディティールを加えているときも感動しっぱなしだった。夜中にも関わらず、誰かに電話して、自分が見た夢とその感動を語ろうかと本気で思った。

冷静になって夢の内容を読み返してみると、これは他者との共有が難しい種類の感動であることにようやく気付いた。そもそも、夢の舞台、登場人物、ストーリー、全てが過去の俺、現在の俺の個人的な体験からなるものばかりで、他人にとっては意味不明のエレメントの連続にしか過ぎない。他者には説明不可能だ。それを再構成して、普遍的な質の感動にするのは、作家レベルの構成力、筆力が必要に思われた。また、たとえそういう風に再構成できても、そこからこぼれ落ちるものの方が圧倒的ではないかとさえ思う。

今回の夢では、昼間の残滓や過去の経験が、かなり生に近いイメージで現れていた。各エレメントは、あまり抑圧や変換を受けていない。要するに、どうしてそんな夢を見たのか、その原因がはっきりと自覚できる。そしてまた、その一つの解答として、脳がこのような夢を俺に見せたのだと気付いたとき、深くにも再び感動してしまった。自分が原因の問題に、自分の脳が答えているだけなのだが、まるで俺を隅々まで知る人間が最良のアドバイスをくれたような錯覚に陥り、大いに勇気づけられたのだ。

やはり言葉にするとアホっぽいなあ。最初から正確に伝えることは不可能だとは思っていたけれど。それでも書かずにはいられないほどの感動だったのですよ貴方。ああ。もう一回、夢で見たいなあ。