- 教科書が教えない歴史(縄文とSM)

2003/12/03/Wed.教科書が教えない歴史(縄文とSM)

縄文人のデザイン指向が気になっている T です。こんばんは。

縄文土器に付けられた縄目模様、あれは装飾なのか、それとも実用的な理由があってのことか? これが気になって仕様がない。縄文土器といえば、時代が下るにつれ、どんどんと装飾が発展していき、最後にはゴテゴテで「どう考えても使い辛いだけやろ」というほどにまでなるのだが、この流れを考えると、初期の素朴な縄目模様、あれもやはりデザインだったのだろうと推察できる。

この論法が正しいとすると、更に時代を遡れば、もっと素朴な、否、縄目模様さえもない土器が出土しても良いはずなのだが、寡聞にしてその存在を俺は知らない。出土していないだけなのか。それともないのか? ないとすると、縄文土器は出現当時から最低限の縄目模様デザインを兼ね備えていたことになる。

なるのだが、それはやっぱりおかしいんじゃないか。装飾ってのは二次的なものだろう。土器の必要性と装飾の必要性が、縄文人にとっては同じウエイトだったのか。それとも、土器を作る頃の縄文人には、既にデザインを考えるほどの余裕があったのか。どちらも変な話だ。

……てなことを、「縄目模様も鮮やかに『貴方好みに縛って!』と哀願する M女、多数登録!!」という出会い系メールを削除しながら考えているところだ。

そこで閃いた。縄文人(というかもっと以前からの人類)ってのは狩猟生活だったわけで、農耕を営んでいた弥生人とは異なり、その日の獲物を求めて山に分け入り、狩りをしては肉を喰らっていた。復元図などでよく目にする通り、獲物ってのは「縄で縛る」のが定番。毎度毎度、食事といえばボンレスハムの日々ではなかったのか。

食事 = 縄目模様

このような図式が悠久の歴史で刷り込またとしてもおかしくはない。時代が下り、ようやく彼等も土器を作れるようになった。勿論、当時最先端の技術製品である土器の使用目的は、一番重要な食物に関してであることは論を待たない。そこでついつい先祖からの記憶で、作成過程の土器を縄で縛ってしまったのではないだろうか、というのが俺の推理である。

ここまで来ると、どうしてSMプレイで縄が出てくるのかという、ノーマルな俺にとっての疑問も氷解する。あれも先祖の記憶なのだ。食と性は近しい関係にある。あれはやっぱり縛っている相手を「俺の獲物だ」と認識することによって縄文の血をたぎらせているに違いない。間違いない。