- LA 滞在記 (6/28)

2003/07/05/Sat.LA 滞在記 (6/28)

日本に帰ってきたので回転寿司を食いに行ったのだが、厨房丸見えの位置に座ったため、見なくてもよい調理過程の裏側まで見てしまった T です。こんばんは。

LA に行くには大韓航空を利用するのが安上がりだ。最寄りの空港からソウルに行き、そこから LA へと向かう。ソウルまでは 1時間あまりのフライトで到着。早いし近い。おまけに空港は最近できたばかりで美しい。乗り換えまでの待ち時間に、早くもバーで 20ドル分もの酒を飲む。ソウルから LA までは 12時間ほどであったか。豚箱のようなエコノミークラス。小さいはずの日本人でさえ窮屈なのに、デブの外人にはさぞ苦痛に違いないと勝手に同情する。

どうでも良いが、到着した LA の現地時間は 6月 28日の午前。これって俺が日本を出発した時間なのだ。日付変更線を越えたとはいえ、変な感じは否めない。

LA 空港からはタクシーに乗って、会場であるカリフォルニア大学 LA校 (UCLA) に向かう。広い、でかい。そのくせ今は夏休みでキャンパスには人がまばら。俺達が泊まる宿舎は UCLA 内にある。チェックインを済ませ、日本で言うところの大学生協のような場所で昼飯を食う。メニューは豊富で不味くもない。ただ、毎日食ってたら明らかに太るであろうというメニューしかないのはどういうことか。

飯を食ってから UCLA 内をぶらつき、夕刻には眠くなったので部屋に引き上げて寝る。起きると午後11時頃であったか。同室のヒゲマン氏とともに夜の街を徘徊しようと出かける。昼は雲一つ青空で暑いばかりのカリフォルニアだが、夜は結構冷える。それにしても、金曜の夜だというのに人がいない。通りの店はほとんど閉まっていたが、厳重にシャッターでロックされている、ということもない。治安は良さそうだ。

JFD というレストランが開いていたので入る。ビールを頼もうとしたが「パスポートを見せろ」と言われた。年齢確認のためらしいが、あいにく 2人ともパスポートは持ち歩いておらず、日本の運転免許証などを見せて交渉したが無駄だった。そらそうやわな。

生年も「昭和55年」とか書いてあるし。

仕方なくコーヒーとホットドッグを注文する。ところが出てきたものを見て俺は愕然とした。巨大なトレーの全面にポテトフライが敷き詰められており、その上に信じられないくらいに太いソーセージが挟まれたパン。明らかに全開にした口の直径よりでかい。

ギャグに違いない。これがアメリカンジョークってやつか。

飛行機の中で見たアメリカ版ドッキリカメラを思い出す。カメラはどこだ。勿論そんなものはない。本気や、こいつら。とにかく詰め込めるだけ腹に詰め込むが、全然なくならない。オエップ。もう食えねえ、と腹をかかえて往生しているとウエイトレスがやってきて「デザートはいいのか?」

食えるか、ボケ。

デザートの写真を見たが、どいつもこいつも突然変異を起こしたとしか思えないくらいに巨大。こんなものを食った日にゃあ、ファンタのような糖尿が出るに違いない。

店を出て UCLA に戻ろうとするが、道に迷った。行けども行けども同じような光景で、どっちがどっちだかさっぱりわからない。元いた店に戻ろうともしたが、それすらかなわず。仕方がないので怪しげな男の若者 2人組に道を聞く。あっさりと教えてくれたが、その後で、

「俺達バス代を落としちまってよ。金持ってる?」

やべ、たかられた。いくらボラれるかわかったもんではないので、俺とヒゲマンはアジア顔を武器に「お前達が何を言ってるのかわからん」と必死に抵抗するが、敵も中々帰してくれない。しつこすぎるぞ、お前ら。最終的に向こうが「3ドルくれや」と金額を提示したのでヒゲマン氏が払った。

それにしても 3ドルかよ。日本で深夜に「バス代くれや」と言われたら「どこまで行くねん!」というくらいにボラれるに違いないのだが。本当にバス代だったのだろうか。でもバスが走ってる時間ではないしなあ。あれは何だったんだろうか。