- 『38億年 生物進化の旅』池田清彦

2012/09/03/Mon.『38億年 生物進化の旅』池田清彦

三十八億年に渡る進化の歴史が compact にまとめられている。本書の基調をなすのはネオダーウィニズムではなく構造主義進化論である。その要諦は著者の『構造主義進化論入門』に詳しい。

本書で印象に残ったのは、系統と分類の違いである。少々長くなるが、わかりやすい説明なので引用しておく。

このように、DNA 解析の結果からは、確かに、どの動物とどの動物が系統として近いかということがよくわかる。ただし、系統解析と分類はそもそも異なる営為なのだ。系統としては近縁だということになっても、形が全然違うから別の分類群にしようという考え方にはじゅうぶんに正当性がある。[略]

そもそも、単系統の考え方で言えば、哺乳類は爬虫類の一部にしか過ぎないということになる。爬虫類の中の、単弓類というたった一つの系統の、そのまたさらに一部の獣歯類が発展したのが、哺乳類なのだから。

遡れば哺乳類の先祖の爬虫類は両生類の一部から現れたのだから、両生類の内群であるという言い方さえも、系統のみを重視すれば成り立つ。また、もっと遡ればその両生類は硬骨魚の一部から進化したのだから……というふうにどんどんと系統を辿って考えていけば、われわれが考えている分類とは様相が大きく違ってきてしまうだろう。分岐の年代が古ければ古いほど、大きなグループになってしまうのである。早く分岐したというだけで大きなグループに分けなければならないとなると、たとえば肺魚と両生類の祖先種が分岐して、かたや現生のごくわずかの種の肺魚に、かたや両生、爬虫、哺乳、鳥類の膨大な種にそれぞれ進化したとして、この二つのグループは分類群として同格ということになってしまう。

(第9章「爬虫類と哺乳類のあいだ」)

系統が時間的要素を含むのに対し、分類は時間を抜きにした多様性を重視していることがよくわかる。言い換えると、系統は遺伝学そのもだし、分類は生態学と関連する。これらを進化論的にいえば、それぞれ突然変異と自然淘汰に相当する。この関係が把握できると見通しが良くなる。

もう一つ、ネオダーウィニズム批判で、これまたわかりやすい説明があったので引用する。

さらに言えば、その環境下では足が生えたほうが便利だから徐々に適応して足が出来ていったというよりも、何かのきっかけで足になりそうなものが出来てしまった、というのが先であろう。環境に適して徐々に形が変わっていくのではなく、むしろ、形が先に変わり、その形に合わせた環境を選ぶというのが、動物の基本的なスタイルなのである。動物は移動できる。自分の形態や機能に最も適していると思われるところへ移っていってそこで生活するというのは、動物の当然の行動である。そこの環境が自分に適さなくなれば、適した環境を探す。適さない環境に耐えながらじっとそこに留まって、突然変異と自然選択を待つという生物はいないのだ。そんなことが起こるのを待っていたら突然変異の前にその生物は滅んでしまう。

(第6章「『魚に進化した魚』と『魚以外に進化した魚』」、傍線引用者)

これは適応放散と収斂進化の説明でもある。動物が動くことの意義、そして私が筋肉に惹かれる理由もここにある。

引用部分に見られるように、著者の語り口は易しい。進化論に様々な version が存在するということを知らないような人でも楽しめるだろう。生命三十八億年の歴史を手軽に概観できる良書である。