- 『日本史はこんなに面白い』半藤一利

2010/12/27/Mon.『日本史はこんなに面白い』半藤一利

半藤一利の対談集。対談相手と内容は以下の通り。

いずれの対談も軽妙な語り口で進められており、楽しく読めた。芭蕉についての話題が特に面白かったが、これについてはまた日記で触れる。

三島由紀夫の辞世は、大体において「つまらん歌である」「あの三島がなぜこんなしょうもない辞世を」という評価で固まっているように思う。

散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐

益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜

歌のことは皆目わからぬが——、それでも、三島由紀夫ほどの人物が死を覚悟し、後世に残ることを意識して作ったにしてはあまりにも出来が悪いことくらいは見て取れる。これは何なのか。

高橋 三島さんのなかには、辞世というものは紋切り型じゃないきゃいけないという考えがあって、事実、見事に紋切り型の歌をつくった。あれはいってみれば、江戸時代の国学流の歌ですね。あまり上手ではないけれど、それが問題でもない。いい辞世というものは紋切り型でありながら、そこに真実がないといけない。ところが、あの歌にはそれがない、やっぱり修辞、パフォーマンスなんです。

(「権力を究めた人の辞世ほど『この世は虚しい』という」)

しかし修辞は三島が最も得意とするところでもあり、ならばもっと格好の良い歌が作れたのではないかとも思ってしまう。一つ考えられるのは、あの事件は「三島由紀夫事件」なのではなく、あくまで「平岡公威事件」なのであり……、三島、否、平岡は故意に下手糞な辞世を作ったという可能性である。肩に力が入り過ぎているような印象も、こう考えると少しは納得できる。

だが仮に、平岡が「故意に下手糞な辞世を作った」のだとすれば、この行為自体が「修辞、パフォーマンス」であるという反論も成立する。その場合、事件の主体はやはり平岡ではなく三島だったのではということもできる。

いずれにせよ、三島=平岡が何を考えていたのかはもうわからぬ。永遠に判然としないままであろう。それをこそ彼は狙っていたのかもしれない。このような論評がいつまでも繰り返されることすら、織り込み済みであったとも思える。