- 『美の幾何学』伏見康治/安野光雅/中村義作

2010/11/13/Sat.『美の幾何学』伏見康治/安野光雅/中村義作

副題に「天のたくらみ、人のたくみ」とある。三人による鼎談であるが、要所要所に「テキスト」と称された文章が挿入され、各話題の数学的背景が解説される。

前半は対称性をキーワードとし、紋、繰り返し文様、寄せ木などについて語られる。

紋の代表は家紋であるが、これは simple な対称性が design の基本となっている。特に、次に紹介する指摘は極めて秀逸であると思った。

結び紋

伏見 たとえばこれね。(と結び紋をつくる)これは全く平面の中の図形と見れば対称ではない。だけど、これはあくまで紙で折った物だと考えれば、裏返すと重なってしまうから対称なんです。

中村 そういうのがたいへん多いんですね、紋の中には。

伏見 鋏などもそうですね。手にとってひっくり返すつもりになれば、元の形に重なってしまう。

(「紋と文様の魅力」)

文様は、基本単位を対称移動させたものが規則的かつ周期的に出現する、二次元平面上の模様である。これには色々のパターンがあるが、数学的には十七通りに収束する。この事実は「テキストⅠ 対称性の基本」で詳述されるが、読み応えがあって面白い。

文様の基本単位が独自の領域を持ち、その境界線どうしが全て隙間なく接している模様を寄せ木という。最も身近な例は、道路や風呂場のタイル張りである。基本単位を絵として意味のある形にし、キャンバス一面に敷き詰めると、エッシャーの版画のような不思議な作品となる。基本単位を二種類以上にすると、相当複雑な模様を描くことも可能である。

寄せ木は基本的に周期性のあるものだが、非周期の寄せ木もある。ペンローズ・タイルが有名だが、本書では軽く触れられるのみである。

寄せ木問題を三次元に拡張したものが立体の充填問題である。これは物質の結晶構造と密接に関係している。

伏見 (略)私がここで言いたかったのは、要するに、結晶学者たちは、原子を詰めたふつうの物質の結晶というのは全部周期的にパックされているということを前提として解析をやってるけれど、しかし周期的にならないものもあるんじゃないかということなんです。まだ平面の話で、立体の話になっていませんけれども。

(「寄せ木の世界」)

これは示唆に富んだ発言のように思われる。というのも、生物学で「結晶」といえば、すぐに思い出されるのがタンパク質の立体構造だからである。もちろん、生体中のタンパク質は結晶として存在するわけではないが、例えば DNA の二重らせんや染色体の chromatin、筋繊維に代表されるような filament などは、基本単位となる幾つかのタンパク質(あるいは原子団)からなる繰り返し構造を有している。DNA や chromatin は compact に折り畳まれることが重要であり、これは最密充填問題と関係している。筋繊維は「伸縮」するが、これを基本単位の変形や移動として捉えることもできる。

DNA は四種類の塩基からなるが、これらは周期的に配列されているわけではない。また、filament を構成するタンパク質には様々の isoform があり、(数学的な意味ではなく生物学的な意味で)mosaic(heterologous)である。

このような非周期性が——安易な妄想で何の証拠もないが——、その領域の化学修飾を誘発する(さらには修飾されることによって周期性が回復する)といった可能性を考ることもできる。もしそうなら、その修飾は選択的ではあるが必然的で自動的ということになる。

本書では、ところどころに生物に対しての言及もある。

伏見 (略)オウム貝というのは生ける化石といわれた非常に古い生物ですが、あれはご承知のように極めて規則正しい対数螺旋になる。それで対数螺旋になるというのはその幾何学が非常に簡単であるということなんだけど、要するに何かものがあって、その上へただ形だけ大きくしたものを載せる。(略)その上へまた同じことをやって、だんだん生長しているわけですね。それはまさに幾何級数(等比級数)で大きくなってる。これは上の面と下の面が平行の場合だったんですが、これが傾いていたとするとですよ、それはまさに対数螺旋なんです。ですから要するに幾何級数的に生長したものが絶えず重なっていくとすれば、それはオウム貝の格好にならざるを得ないんですよね。

安野 たしかに、ならざるを得ないですね。

伏見 要するに、あれは、初めから対数螺旋のデザインがあって、それを作ること目的としてああいうふうに出来ていったんじゃなくて、単純なる拡大再生産をやるというプロセスをくり返していくとひとりでにああいう格好になるという結果論なんですね。

(「対数螺旋と黄金分割」、傍線引用者)

この指摘は、最近の日記で繰り返し触れている、「精密に制御された分化の過程というイメージは、多分、幻想である。実際はかなりの部分が『自動的』であるのだろう」「自然が論理的なのではなく、論理が自然的なのである」「生命現象の大半は『場当たり的』で『なし崩し的』なのだろう」という持論と一致する。まさに我が意を得た気分である。

生物学に関する話が長くなった。本書では他にも、竜線(ドラゴン・カーブ)、遠近法、四次元といった魅惑的な幾何学の話題が採り上げられている。原本の刊行は一九七九年だが、いささかも古びた感じはしない。名著といえよう。