- Book Review 2010/10

2010/10/19/Tue.

天野清・訳。副題に「ある記憶術者の精神生活」とある。著者はソ連の神経心理学者である。

本文中では「シィー」と呼ばれる「記憶術者」は、ラトビア生まれのユダヤ人、S・V・シェレシェフスキーであることが「訳者あとがき」で明かされている。本書は、シィーの異常な記憶力についての広範な記録である。

シィーの記憶力は、量的にも時間的にも際限がないように観察された。彼は、無意味な系列をいくらでも覚えることができたし、またそれを忘れなかった——正確には「忘れることができなかった」。

明らかになったことは、シィーの記憶力は、たんに記憶できる量だけでなく、記憶の痕跡を把持する力も、はっきりした限界というものをもっていないということであった。いろいろな実験で、数週間前、数ヵ月前、一年前、あるいは何年も前に提示したどんなに長い系列の語でも、彼はうまく——しかも特に目立った困難さもなく、再生できることが示されたのである。

(「ことの発端」)

この驚くべき記憶力は、どのようなメカニズムによって成立しているのだろうか。実験によって、シィーが極めて強い共感覚と直観像を有することがわかってきた。

共感覚(シネステジヤ synesthesia)とは、音を聴くと色や形が見えたり、色や形を見ると音が聴こえたり、においを感じる等、一つの様相の感覚(たとえば聴覚)が、別の様相の感覚(たとえば、視覚や触角や嗅覚)をひきおこすことを言う。

(訳注)

直観像(eidetic image)。過去見たことのある事物や経験を、現在あたかもそれを見ているかのように鮮やかに明瞭に再生する視覚的な記憶像。

(訳注)

シィーが何らかの言葉や数字を見たり聞いたりすると、共感覚によって、それに対応する「像」が生じる。

「(略)たとえば、『1』という数字の場合、それは、自負心のある、背のすらりとした人であり、『2』は、愉快な婦人、『3』は、何故だかわかりませんが、陰気な人……(略)」

(「彼の記憶力」)

共感覚によって生じた像も直観像であるから、非常に鮮明であり、しばしば現実と区別が付かない。そしてシィーは、これらの像を適当に「配列」することによって、一連の系列を強固に記憶することができる。

そして、この系列をも、シィーは生涯ずっと覚えていたのであるが、彼はしばしば、これらの像を、何らかの道路に沿って「配列」したのである。時には、それは子ども時代から鮮明に記憶されている彼が生まれた都市の通りや家の中庭であることもあったし、時には、モスクワの通りの一つであることもあった。彼は、しばしばモスクワの通りに沿ってそれらの像を覚え、モスクワのゴーリキー通りを利用することも稀ではなかった。そして、この場合、マヤコフスキー広場から始まり、いろいろな家、中庭、そして商店のいろいろな窓に像を「配列」しながら、中心部に向かってゆっくりと歩き、ときには、自分でも気がつかないうちに、再び、故郷のトルジュク町に戻り、その行程を、子ども時代の自分の家で終わることもあったのである。

(「彼の記憶力」)

ハンニバル・レクターの「記憶の宮殿」を想起した人もいるのではないか。とにかく、このようにして作られた像の配列は非常に安定しており、シィーはいつでも、通りを「散歩」し、像を「見る」だけで全ての系列を思い出すことができるのだった。

さて、異様な記憶力を持つ人間の精神世界は、どういうものなのだろうか。常人のそれとは大きくかけ離れているに違いない。本書の特徴は、まさにこの疑問を追求したところにある。

つまり、非常に秀でた記憶力が、人間の人格のすべての基本的な側面——思考、想像、行動——にどのような影響を与えるのか、もし、人間の心理生活の一つの側面である記憶力が異常に発達し、その人の心理活動の他の側面のすべてに変化を及ぼしはじめたとしたならば、その人間の内面的世界、他の人々とのコミュニケーション、生活の仕方が、どのように変化しうるのであろうか、という問題だったのである。

(「意図」)

それは、これまでの心理学がなおざりにしていた部分でもあった。著者がこの問題にどう取り組んだか、また、シィーがいかなる世界を生きていたのかについては、本書を読んでみてほしい。

2010/10/02/Sat.

副題に「二・二六事件」とある。

本巻では同じく、五・一五事件に関する描写もあるが、いずれもその頁数は少ない。もっとも、本書は昭和天皇の評伝であるから、軍部の細々とした動きを一々書く必要はないかもしれぬ。しかし、二・二六事件が日本史に与えたインパクトや、昭和天皇の人生における位置付けを考えるなら、もう少し工夫があっても良かった。

とはいえ、二・二六事件を含む一連の流れの「意義」を問い始めるなら、いくら筆を費やしても足りぬ。

この数年で、二・二六事件を描いた書物を何冊も読んだ。いつも思うのは、当時と現在の時世の相似である。何かヒントになることはないかと考えながら読み進めるのだが、大体は遣り切れない気持ちのまま読了することになる。

例えば、当時、学者たちは恐ろしく無力であった。天皇機関説の美濃部達吉博士など、気骨に溢れた人物はいた。日本という国が、歴史の中でそのような学者を得たことは誇るべきことだけれども、結果論でいうなら、無力なのであった。

力がある者は陰謀を巡らし、クーデターを画策した。地位のある者は権勢を拡げようと奔走するか、さもなくば保身に汲々とするばかりであった。金のある者は、力のある者や地位のある者にすり寄った。何も持たぬ者は、不満と諦観の狭間でただ日々を送るしかなかった。義憤を抱いた者たちが結集することもあったが、共産党のように堕落するか、歴史の泡沫として消え去るくらいしか途はなかった。

現在や昭和初期に限らず、歴史の変わり目とは、およそこのようなものなのかもしれぬ。人間が根本的に変化しない限り、同じような状況が訪れれば同じような流れが生まれるのであろう。そのとき、大抵の人は無力である。

しかし、このような変えられぬ流れの中で、自分をどのように位置付けるか、どのように振る舞うかくらいは選択の余地がある。自分の在り方——生き方といっても良い——のモデルを探索する際、やはり歴史に学ぶところが大きい。

時局に嘆いたり憤ったりするのは簡単である。だが、悲憤慷慨したところで何も変わらぬ。かといって、変えようと運動したところで、よほどの歴史的幸運がない限り、これまた何も変わらぬのである。何も変わらないのだから何もしない——、それもまた選択であろうが、それでは虚しいと思うのもまた人間である。どうすれば良いのか。当世の不安の根本には、そのような疑問があるのかと思う。

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