- 『新版 敗戦前後の日本人』保阪正康

2010/07/08/Thu.『新版 敗戦前後の日本人』保阪正康

「昭和二十年八月十五日をはさんで、その前後五ヵ月間のなかから、日本を変えたと思われる政治、軍事上の動きをとりだし」た一冊(「旧版 はじめに」)。

頁数の都合もあってか、それぞれの主題に関する記述はそれほど詳細ではない(各テーマは、それ一つで何冊も本が書けるほどのものだから当然である)。

八月十五日を中心に、その前後数ヶ月の流れを追うという試みは成功している。もちろん「戦争指導」や「戦後民主主義」などは、この短い期間に収まる問題ではない。しかし、これらを半年以内に起こった出来事と関連して論じることによって、八月十五日を境にした大きな転換、慌ただしくも濃密な時間が描かれている。

本書で興味深いのは、著者の保阪が、自分の依って立つ思想的原点を、比較的赤裸々に述べている点であろう。

[註・戦後]わたしは小学校にはいってまもなく、新聞の題字を集めることに凝った。(略)あるとき、見慣れない新聞の題字を見つけた。家に走って帰り、それをアルバムに貼った。(略)父親は、わたしのアルバムを見ていたときに、その題字に気づき、それを外すようにいい、わたしが抗議している間にアルバムからはがして燃やしてしまった。その題字は『アカハタ』であった。父親は、「こんな新聞があったというのは、人に言ってはいけない」と何度もいった。

(略)

母親は、東京の進歩的な女性雑誌だかに、戦後民主主義を喜んでいる女性を主人公にした小説か評論かは知らないが、原稿を送って入選したことがあり、それを父親が読んで連日のように夫婦げんかをしていた。(略)いま思えば母親は、マッカーサーの人権指令以後の一連の政策にかぶれて有頂天になっていたことがわかるのだ。マッカーサーが、とか、占領軍が、という主語を、わたしの母親の口からなんどもきいている。

(「解体への序奏曲第一小節」)

このような家庭(当時してはそれほど珍しくもなかったであろう)で育った保阪は、戦後民主主義の第一期生ともいえるを受ける。

敗戦直後から始まった GHQ の占領政策に呼応して、教育現場では日本軍国主義の解体が急ピッチですすんだ。わたしはその時期の教育を受けてきたわけだが、ここで得たものに、抜きがたく信奉の念をもっている。くり返すようだが、これを守り抜く以外にないという気持も強い。その反面で、これを絶対視しているだけでは思考形態の幅も狭くなり、本来見つめなければならないものを見失うかもしれないと自覚するときがある。

(「旧版 おわりに」)

これではまるで、戦後民主主義の礼賛者のようであるが、さすがにそれほど単純ではない。

わたしは、中学、高校時代を札幌市ですごしているが、中学では袴をはいた四十代か五十代と覚しき女性教師がいて、ある種の感性をもっている生徒を戦前の秩序に押しこむのに躍起となっていた。それがあまりにも異様であって、ことばでは民主主義を賛えながら、行動では憲兵まがいの性格がぬけきれていなかった。わたしはそうした教師がわけ知り顔で、デモクラシーを説いたりすると、その概念が汚れていくようで、その教師の時間には自閉症になったほどだった。

(略)

父親を戦争で失った友人たちが、わたしの周囲にも数多くいた。アッツ島、キスカ島、それに「北支」方面軍の戦闘で戦死していた。二十代の終わりか、三十代にはいったばかりで、彼らの父親は死んでいた。その彼らが、父親の死はまったく犬死にだといわれるのは、たとえそれが事実であったとしても、その子供たちには悲しいことであった。

(「庶民は何を見てしまったのか」)

戦後民主主義が「異様」で「悲しい」点に、保阪の留保がある。彼の著作に見られる、ある種のバランス(これは、保阪の思想が判然としないという批判と表裏一体ではある)は、このあたりに起因するのではないか。

戦後民主主義とはすなわちアメリカンデモクラシーだったという思いは一層強くなっている。「アメリカン」という語をとり払って、デモクラシーをより実体化していくのが、私たちの世代の役割だと思う。

(「旧版 文庫版あとがき」)

その是非はともかく、保阪の視点が明らかになっているという点で、本書は、彼の他の著作を読む際の指針になるだろう。