- 『国家の自縛』佐藤優

2010/07/06/Tue.『国家の自縛』佐藤優

産経新聞社の斎藤勉が聞き手となって展開される佐藤の語りに、二〇一〇年二月に書かれた長大な「文庫版あとがき」が加えられた一冊。「あとがき」では、間近に控えた二〇一〇年参議院議員選挙についても触れており、この部分だけを立ち読みするのも悪くない。

「本書には、作家佐藤優の原点がすべてつまっている」(「文庫版あとがき」)とあるように、『国家の罠』上梓後、比較的早い時期に行われたインタヴューである。後に佐藤が展開する議論の大半を見出すことができる。

新保守主義(ネオコン、neoconservatism)の解説が興味深かった。佐藤は、アービング・クリストルの著作『新保守主義、その思想の自伝』が「トロツキズムのメンタリティーとネオコンの共通性をよく示してい」ることを指摘し、その内在理論を以下のように解説する。

どういうことかというと、全能の神は、初めは全世界を覆っているのですが、人間と世界に自由を与えるために、自発的に収縮してしまうのです。この神が収縮してしまった空間にできたのが「この世界」で、そこで一部の人間は恣意的に振る舞うので悪が生まれ、神が収縮した後に残された空間は物質の世界なので、そこで世の中は、唯物論的に、つまり「力の理論」で動くことになります。他方、神が収縮して内在している世界は厳粛に存在するのですから、ここまでを含めて考えるならば、神は存在するのです。従って、唯物論的な「この世界」と神の存在が矛盾することなく説けるのです。

ちなみに、神が収縮した「この世界」において、悪を放逐することにより、神が収縮する以前の世界を回復することも理論的には可能になります。(略)

(略)

私が見るところ、ネオコンは十分神学的な課題で、要するに、何らかの「正しい理念」が存在するならば、それは彼岸ではなく此岸(この世界)で実現されなくてはならないというユダヤ教、キリスト教に流れる一つの潮流がクリストルの思想に端的に現れています。

(「第四章・ネオコン」)

ネオコンに限らず、それぞれの政治観、歴史観、国家観、民族間には独自の理論がある。しかし、その優劣を争うことに意味はない。重要なのは、自らが主張する論理空間を拡げるためには、相手の論理体系を正しく把握しなければならないという事実である。外交でいうなら、自国の国益のためには、相手の国益についても配慮しなければ成果は得られない、ということである。

「敵を知り己を知れば百戦危うからず」(孫子)。一言でいえばそういうことであろう。ただ、「敵」や「己」を知るために必要とされる知識は、現代では膨大かつ複雑である。本書は、込み入ったその現実を端的に示すことに成功している。一読した者は、知識に対する切迫した必要性を再確認するだろう。