- 『天皇が十九人いた さまざまなる戦後』保阪正康

2010/06/26/Sat.『天皇が十九人いた さまざまなる戦後』保阪正康

本書に収められているのは以下の六章である。

  1. 天皇
  2. 東條英機
  3. 官僚とその周辺
  4. 映画俳優
  5. 普通の人々

『天皇が十九人いた』は、戦後に現れた自称天皇を追ったレポートである。自称天皇の中で最も有名なのは熊沢天皇だが、彼以外にも様々な「天皇」が名乗りを上げた。彼らの多くは、自らを南朝系天皇の末裔と主張する。実は、幾人かの自称天皇は、共通の「プロデューサー」に理論指導を仰いでいた。彼は在野の南朝研究家なのだが、それぞれの思惑と世相が絡み、一時期、自称天皇の世界は知られざる奇妙な拡大を遂げている。

『外務省の癒されぬ五十年前の過失』は、真珠湾攻撃に際して米国への開戦通告が遅れ、結果として「騙し討ち」になってしまった問題を扱っている。"Remember Pearl Harbor" は、開戦後七十年を経た今でもなお、日本叩きの合言葉になっている。この失態の責任は外務省にあるが、一九九四年になって「昭和十六年十二月七日対米覚書伝達遅延事情に関する記録」が公表されるまで、正式な報告書は一切発表されていない(この「記録」とて充分なものとはいえない)。その間に日本が失った信頼はいかばかりか。外務省に限った話ではないが、どうして歴史的な総括がなされなかったのか。

その答えの一つが『「東條英機」と東條家の戦後』にある。極東軍事裁判において、東條英機は A 級戦犯として裁かれ、絞首刑に処された。色々の問題があるとはいえ、東條の責任はこの時点で果たされたといえる。しだが、残された東條一家への迫害は執拗に続いた。当時小学生だった東條の孫は、教師から罵詈雑言を叩き付けられ、教室を追い出されるという日々が続いた。GHQ のプロパガンダがあってにせよ、一夜にして「国民は悪くない。東條一人が悪かった」という構図に甘んじてしまう我が国において、冷静な記録を残すにはよほどの努力が要る。

『沖縄戦「白い旗の少女」の歳月』は、図らずも歴史の証人になってしまった庶民が、自らの記憶と記録を残すための歩みでもある。在日米軍の問題が再燃している昨今、その原点である沖縄戦の実態はよく知っておく必要があるだろう。