本書で採り上げられているのは、以下の七話である。
附録に、保阪と原武史の対談『宮中祭祀というブラックボックス』が収録されている。
この内、第二話の大本営発表については保阪の『大本営発表という権力』に詳しい。
第一話のゾルゲ事件は、論者によって評価が様々になる不思議な事件である。ゾルゲ最大の功績は、日本軍は南進し北進はしない、という情報をモスクワにもたらしたことである。したがってゾルゲ事件の評価は、この情報が本当に機密であったかどうかという、情報の評価と相関する。
本書におけるゾルゲ事件の位置付けは、これら既存の論とは異なった地点にある。
なぜ昭和十六年十月十八日だったのか。あえてそこに仮説をもちこんで考えていくことにするが、このゾルゲ逮捕の日こそ、実は第三次近衛文麿内閣倒壊、そして東條英機内閣誕生の日なのである。
(略)
この事実を踏まえたうえで、大胆な仮説をいえば、第三次近衛内閣はゾルゲ事件(当時日本の政治・軍事指導者の間では「尾崎事件」といった)によって脅かされ、内閣を投げだしたのではなかったか、ということである。誰によってか。むろん陸軍の政治将校によってである。こうした仮説は、当時も一部の人に囁かれていた節もあるし、今でも近衛内閣の退陣を疑問に思う論者もいないわけではない。だが表だって論じられたことはない。
(「東條英機に利用されたゾルゲ事件」)
この推測を進めると、ゾルゲ事件を利用して権力を掌握した東條は、「第二のゾルゲ事件」を恐れるようになったのではないか、という想像が立ち上がってくる。クーデターによって権勢を得た者が、今度は自らの暗殺を恐怖するのと似ている。
東條は特高や憲兵を重用し、吉田茂を監視するなど、行き過ぎた警察国家を現出させたが、それは上記のような彼の心理を反映した結果ではなかったか。
ゾルゲ事件は、戦時下を担った最高指導者東條英機の平衡感覚を失わせた。それが東條の人望を失わせ、そして国民の離反を招いた。そう思えば、日本の敗戦の因にゾルゲや尾崎の証言や手記もあげられるのではないか。彼らはそのような意思をもって獄中闘争を続けたという見方さえできるかもしれない。いやそう見ることで、いくつかの疑念は晴れていくのである。
(「東條英機に利用されたゾルゲ事件」)