インタヴューに応える形で語られた木田元の自伝。大変面白い。
父の仕事の関係で、木田は満州で育った。父は満州の高級官僚であり、親類にも学問のある人が多く、木田は様々の影響を受けながら大陸で過ごした。海軍兵学校を受験するために帰国し、首尾よく入学したが、間もなく終戦を迎える。満州の父はソ連の捕虜となった。
木田は郷里の山形に戻り、帰国した一家(シベリアに送られた父を除く)を養うために、代用教員やら闇屋を営む。若い頃の木田は腕っ節に自信があり、肝も据わっている。色々の苦労もあったはずだが、語り口はカラッとしており、痛快ですらある。この頃に木田が出会った人々の肖像も印象深い。
読書家だった木田は、ドストエフスキーを通じてキルケゴールを知り、そしてハイデガー『存在と時間』に出会う。父の帰国を契機に、木田は『存在と時間』の読解を志し、東北大学哲学科に進んだ。
猛勉強の末、『存在と時間』を原語で読破するに至るが、そのときの感想が奮っている。
おもしろかったのですが、肝腎なことはなにもわかりません。この本は一度や二度これだけ読んでわかるような本ではない、ということもわかりました。
フッサールやシェーラー、キルケゴールやニーチェ、カントやヘーゲル、それにプラトンやアリストテレスと、そこで問題にされている哲学者たちの本をちゃんと読んで、まわりを固めてからでなければ、この本はわかりそうもないという見当はつきました。
(「8『存在と時間』をはじめて読んだ頃」)
そうして、木田の、本の厳密な読解を基盤とした研究が始まる。大学院生、そして教員としての生活における逸話を交えながら、木田の話は再びハイデガーに近付いていく。最終的には、メルロ=ポンティがヒントになって、ハイデガーの言わんとしていることが「わかった」のだという。木田によるハイデガー解釈については『木田元の最終講義 反哲学としての哲学』で読むことができる。
木田の、学生に対する指導も独特のものである。
一人の学生に二年か三年か、毎週ぶっ続けで読ませるんです。まずドイツ語の原文を読ませて、それから、自分で日本語に訳させます。ラテン語やギリシャ語からの引用もありますが、それも読ませます。黙読ではなくて声に出して読まないとダメです。(略)
学生に言う以上は、ぼくもその個所をしっかり読んでおきます。そして、発表のとき、学生が間違えると嘲笑してやります。叱るのではなくて、ゲラゲラ笑ってやります。だいたい、このあたりで間違えるだろうなと思っていると、案の定、そこで間違えるので、大いに笑ってやります。それがくやしくないとダメです。(略)
(「16 読書会のこと」)
これはキツい。しかし(その方法はともかく)、これくらい厳しくないと学問など身に付かぬのかもしれぬ。
木田の研究姿勢は極めて誠実であり、そして何よりも真面目である。この点に最も感銘を受ける。分野は違っても、研究生活を送っている人であれば、本書から何かと得るところがあるだろう。