- 『地ひらく』福田和也

2010/05/29/Sat.『地ひらく』福田和也

副題に「石原莞爾と昭和の夢」とある。大著である。

本書は、日蓮宗を熱心な信者であり、天才的な軍略家でもあった石原莞爾の思想と、その精華である満州国、そして日本が闘った戦争を、広範な観点から多角的に論じた評伝である。単なる伝記的事実の羅列に留まらず、当時の国内および世界情勢、そこに至るまでの歴史的経緯も余さず描かれている。

石原のヴィジョンを数行で要約することは難しい。細部については本書を読んで頂く他ない。以下は、大略のほんの一部である。

まず、高名な「世界最終戦争論」がある。この予言的な理論は、決して荒唐無稽な夢想ではなく、石原の卓越した軍事的思索が辿り着いた一つの結論である。軍事のみならず、社会、経済、外交は無論、民族、国家、歴史に至るまで、石原の思想を支える視野は多岐に渡る。石原は、極めて大きな理想を語る一方で、精確に「現実」を認識・分析・把握する能力に長けていた。この能力は、石原が属した帝国陸軍や、ある時期からの日本政府に最も欠けていたものでもあった。これが石原の不遇の一因となる。

もう一つ、東亜連盟に代表される石原の民族観、国家観がある。世界各国に植民地を築き、黄色人種への偏見に満ちていた西欧諸国に対し、「遅れてきた帝国」である日本が、アジアの盟主としていかに世界と対峙するか、そしてアジアの民族自決をどのようにして達成するかという問いである。

これら二つの思想的結節点として満州国が必要とされ、石原は満州事変を起こした。

満州とは何か。現在では、古来より中国の一部であったかのように思われている満州だが、歴史的に見れば決してそうではない。著者は、満州の来歴、地政学的意義、当時の状況について多大な筆を費やしている。いささか日本の擁護が勝ち過ぎているようにも思われる——実際、朝鮮に関する記述はほとんどない——が、満州の特殊性については学ぶところが多い。

石原の卓抜した戦略によって、満州国は電撃的に建国された。五族共和、王道楽土、大東亜共栄圏といった理念が唱えられ、大志を抱いた日支満蒙の人々によって国は動き始めた。これらの理想は、今では「綺麗事」であったと認識されている。哀しくもそれは事実である。日本の行動が、満州に起ち上がった観念を「綺麗事」にしてしまった。しかし、少なくとも建国当時は、そして石原は、理想に向かって真っ直ぐに進んでいたのである。

あまりにも迅速に事が決した満州事変において、石原は、帝国陸軍に大きな誤解と先例を与えてしまった。一つは支那への侮りであり、一つは軍部の独走である。この二つが、石原の理想と満州国、そして最後には日本を破滅させることになる。皮肉といえばそれまでだが、石原の懊悩は深刻なものであった。そして、石原が抱いた絶望と後悔が、後半生における思想的展開を決定することになる。

日本の戦争は、ことごとく石原の思想とは反対の方向へと突き進んでいった。したがって本書は、石原莞爾を通して、「第二次世界大戦とは何であったか」という巨大な問いに、新たな光を投じるものでもある。