- 『数学の自由性』高木貞治

2010/05/21/Fri.『数学の自由性』高木貞治

高木貞治は、本邦初の世界的近代数学者として高名である。

クロネッカーは『一般に、二次の虚数体 K の相対アーベル体は、1 の乗根と楕円モジュール函数の不変式に K の数を入れたものとで、尽くされるであろう』と推測した。ヴェーバーやヒルベルトといったドイツの第一人者が、全力をあげて解決に突進した。しかし、どうしても、うまくいかなかったので、数学界では、とうとう弱音をあげて、「クロネッカーの青春の夢」と呼び、投げたような格好になった。

こんなときに、わが高木貞治は——藤原松三郎の言葉を、そのまま借用すると——極東から世界の数学界に投げかけた光彩奕々たる業績 Uber eine Theorie des relativeabelschen Zahlkorpers「相対アーベル体について」において、相対アーベル数体の理論を完成し、これに関連して、クロネッカーの推測を解決したのである。

小堀憲『大数学者』「ヴァイエルシュトラス」)

高木貞治は帝国大学第一回卒業者である。数学専攻の同期は僅か三名だったという。このような時代における高木の業績は驚くべきものだが、同時に、高木の才能を漏らさず拾い育んだ、明治政府と帝国大学の炯眼も瞠目に値する。

本書は、高木が雑誌に寄稿した原稿や、講義で話した事柄をまとめたものである。古い時代のものだが、現代に通ずる内容も多い。

数学に練習は必要であるが、その練習問題の選択と、その数ということに注意せねばならぬ。(中略)形式の極っているものを上手に解くということは、必ずしも数学を能くするということとは一致しない。(中略)されば書物にある練習問題のよく出来るのと、実際に数学が出来て、本当の意味の応用問題の解けるということとは並行せぬ。一般学生の数学の力の乏しいというのは、これらが原因になってはおらぬか。

(第1部「どうすれば数学の力を養うことができるか——問題の急所を衝け」)

上記のごときは、現代の受験数学を論じているようにしか見えない。しかし、この文章が発表されたのは明治四十三(一九一〇)年なのである。この百年間、我が国の教育者は何をしていたのか。

また、暗記を皮肉った文章などは爆笑ものである。その昔、欧州では、三段論法における命題の組み合わせを暗記するために、 Barbara の詩というものが作られた。

論理を暗記する(!)ために作られたバルバラ姫の唱歌は中世 Middle Age のにおいがプンプン致します。試みに僕の空想を申してみましょう。ロオマ法王華やかりし時代を想像してご覧なさい。その頃、学問と言ったものは、僧院の内で、かろうじて命脈を繋いでいたのでしょう。ところですべてのボンサンが必ずしも bon sens の持ち主でなかったろうことは、容易に想像されるでしょう。彼らが宗論でもしようという場合、その宗論なるものが、およそ論理的というようなことは縁遠いものでもありましょうが、ただ討論に勝ったか負けたか、それも判然しないのは心細い。その時、頼りになるものは、バルバラ信女の称名ではなかったでしょうか。学問が大衆に解放された今日でも、どこか世界の隅々にバルバラ式が命脈を保っているようなところがありはしないでしょうか。

(第1部「訓練上数学の価値 附 数学的論理学」)

他にも紹介した小文は色々とあるが割愛する。高木が留学先で師事したヒルベルトに関する逸話など、数学史的に貴重と思われる記述も多い。