- 『海の都の物語』塩野七生

2010/05/17/Mon.『海の都の物語』塩野七生


副題に「ヴェネツィア共和国の一千年」とある。フィレンツェの存亡を描いた『わが友マキアヴェッリ』と合わせて読むと面白い。

ヴェネツィアの共和制は長い月日をかけて洗練された、非常に理想的な制度である。当時では他に類を見ないほど自由な言論や信仰、議会での決定の遅さを補うための十人委員会、権力や財力とは直接に関係しない清廉な貴族制などなど、完全に近いがゆえにユニークな政体なのだ。

そのヴェネツィアの歴史を書いた本書がしばしば退屈になるのは、共和制を維持するためにフィレンツェ市民が貫き通した「英雄は無用」という思想に依る。とにかく目立った人物が出てこない。主語の多くは「ヴェネツィア政府」であり「ヴェネツィア海軍」であり「ヴェネツィア市民」である。全市民が愛したロレンツォ・メディチや、ルネサンスの精華であるダ・ヴィンチ、ミケランジェロを擁したフィレンツェ人とは、随分と印象が違う。

ヴェネツィア人は海の民であり、ヴェネツィアの政体は自国の通商を保護することを第一の目的として機能した。彼らが望むのは滞りのない経済活動であり、そのために必要な拠点とその安全である。したがって領土的な野心はなく、軍備は防衛のために組織され、外交を重視し、情報には最大かつ細心の注意が払われた。

しかし、いくらヴェネツィアの政治が安定していようとも、歴史の大きな流れには逆らえない。まず、トルコ帝国が台頭し、東方と西方を結ぶ最大の都市であるコンスタンチノープルが陥落する。次いで、東地中海の覇権もトルコに奪われた。

また、欧州にはフランス、ドイツなどの中央集権的な帝国が現れる。これらの国々は、その領土の大きさから曲がりなりにも自給自足が可能であることから、必然的に——ヴェネツィアが中心的な役割を果たしてきた——通商の重要性が下がった。後年、ヴェネツィアも「本土」を拡張することで工業的な躍進を遂げるようになるが、その拡大は、領土と国民の拡大そのものが目的である帝国のそれとは違い、そして、まさにその違いによってヴェネツィアは滅亡することになる。一七九七年、ヴェネツィアは「英雄」ナポレオン・ボナパルトに降伏した。

ヴェネツィアの歴史を顧みると、自国の平和とは何であろうかという疑問が湧く。ナポレオンに降伏するくだりなどは、黒船によって開国した江戸幕府を見るようである。国内が平和であることと、自国を守ることは必ずしも同じではない。これは現代の自衛隊問題とも通じるところである。