- 『新・大学医学部』保阪正康

2008/10/16/Thu.『新・大学医学部』保阪正康

副題に「新医師の誕生と国家試験の内幕」とある。『大学医学部 命をあずかる巨大組織の内幕』の続編である。本書の刊行は 1982年で、これは新設医科大学の最初の卒業生が国家試験を受けた・受ける時期でもある。

『大学医学部』の方でも述べたが、新設私立医科大学には、開業医の (しばしば出来の悪い) 子弟が莫大な額の寄付金とともに入学しており、この連中と、彼らに振り回される教育者 (= 教授陣 = 医者) の、ときに悲惨な顛末がつぶさに紹介される。また、国家試験の大学別合格率を元にした、詳細なデータ解析も行われる。

医師国家試験は専門家である医者によって構成される委員会が作成するわけだが、委員会のメンバーは東大医学部教授を中心とした医局主義の学閥の反映であり、これが厚生官僚の行政方針と密接に関係している。すなわち、医科大学の新設ラッシュに伴って「医者余り」の懸念が出始め、国家試験の合格率を左右することによって医師の数を調整しようという考えである (もっとも、著者のこの推測には証拠がない。さすがに言質が取れなかったというべきか)。

医学教育は「良い医者」の育成を目的とするべきであり、国家試験は「良い医者」の選抜・認定を理念とするべきである。しかし一部の大学では、とにかく試験合格率を上げることに汲々としており、医学教育の第一義がなおざりにされている。また、そこに付け込む予備校産業という存在もある。著者はこれらの実態について、豊富なインタビューを元にしたレポートを展開する。

一方、国民は、自らが望む「良い医者」像を明確に示すべきだ、という主張もなされている。ともすれば医学・医療制度の批判に偏重しがち (と俺が思ってしまうのは、当時と現在の状況が大きく異なるからであろう) な著者の主張の中でも、これはなかなかの至言である。文部省が定める医学教育の綱領、厚生省が実施する医師国家試験に明瞭な理念や原理が存在しないのは、「どのような医者が『良い医者』なのか」が判然としないからでもある。

もっとも、「良い医者」の定義は難しい。だが、医療が医者と患者の間で成立するものである以上、患者 (国民) にも意識向上が必要である (現在ではそれが行き過ぎている部分もあるように観察されるが)。著者が目的とするところはそこであり、本書はその啓蒙的な役割に資するものである。