- 『異端の肖像』澁澤龍彦

2008/06/21/Sat.『異端の肖像』澁澤龍彦

澁澤龍彦が「異端」と認めた人物を描いた評伝。採り上げられるのは以下の 7名。

いずれも澁澤の鋭い文体と博識をもって、ユニークな解釈が試みられている。ルードヴィッヒ二世やジル・ド・レなどの有名人を除き、その存在を本書で初めて知るような人物も多かった (関係人物は特に)。書評をする知識もないので、気に入ったエピソードや、澁澤の文章を引用してお茶を濁す。

しかし、ピアニストとの関係は長く続かなかった。(T註・ピアニストの) 青年はブランコヴァン大公の邸で厚遇されるようになり、伯爵はかなり思い切った態度で、この浮気な青年との絶遠を申しわたす。その後、道で会っても伯爵は挨拶を返さなかった。そして、「十字架が道を通るとき、行き合うものはお辞儀するが、十字架にお辞儀を返されることを期待するものがあるだろうか」と彼一流の毒舌をふるった。

(「生きていたシャルリュス男爵——十九世紀フランス」)

キリスト教とは、もしかしたら、免罪を得るために必要とされる罪の要求、恐怖の要求かもしれないのである。

(「幼児殺戮者——十五世紀フランス」)

饗宴の食卓に銀製の骸骨を運ばせるトリマルキオー (ペトロニウス『サチュリコン』) の悪趣味は、生と死が交錯する瞬間の逆説を生き抜こうとした時代の選良の、よかれあしかれ危機意識に支配された、いわば健康な、力にみちた、偉大なデカダンスである。彼らにとって、消費の極地は富を享受することにあらず、富を破壊することにあり、奇妙にもその行為はみずからの社会の滅亡に貢献していた。

(「デカダン少年皇帝——三世紀ローマ」)