- 『ロゼッタストーン解読』レスリー・アドキンズ/ロイ・アドキンズ

2008/06/14/Sat.『ロゼッタストーン解読』レスリー・アドキンズ/ロイ・アドキンズ

木原武一・訳。原題は "The Keys of Egypt"、副題は 'The Race to Read the Hieroglyphs'。

邦題はおかしい。「解読」されたのはヒエログリフという古代エジプトの文字体系であって、ロゼッタストーンではない。原題にも "Hieroglyphs" の文字はあるが "Rosetta Stone" とは書いていない。ロゼッタストーンは確かにヒエログリフを解読するための「鍵」ではあったろうが——と思えば、実はそうでもないらしい。

この段階ではシャンポリオンはロゼッタストーンの碑文をあまり利用していなかった。彼はその翻訳を発表していなかったし、この面倒な仕事に挑戦者があらわれるのは数十年後のことである。ロゼッタストーンが重要なのは、そこにヒエログリフを含む三つの言語が併記されているからであった。このことが解読の手がかりとなるものと考えられ、ヒエログリフの新たな研究の刺激剤となった。実際にはロゼッタストーンのテキストは使用に限度があった。というのは、シャンポリオンが『ダシエ氏の書簡』で指摘したように、そのヒエログリフはだいぶ破損していたからである。「ロゼッタストーンのヒエログリフ・テキストはそれほどこの研究には役立たなかった。というのは、その破片から読み取れたのはプトレマイオスの名前ひとつだけだったからである」。ロゼッタストーンは解読志願者の注目の的となり、その碑文は寄せられた期待に応えることはできなかったものの、いまだに一般によく知られたシンボルとなっている。しかし、解読の手がかりを与えるものとして、これよりはるかに重要なのは、他の碑文やパピルスだった。

(第八章「秘密を解いた者」)

本文にこう書いてあるのだ。どうしてタイトルに「ロゼッタストーン」の文字が含まれるのか、僕は全く理解できない。

ヒエログリフは横書きでも縦書きでも良い。本書は縦書きだが、文中のヒエログリフは横書きのものを回転させて使っている。恐らくこれは、ヒエログリフの著作権と関係しているのだろう。

すべての図版の著作権は次の三点 (T註・いずれも写真) を除いて「レスリー & ロイ・アドキンズ・ピクチャー・ライブラリー」にある。

(「謝辞」)

したがって、原版にあるヒエログリフの画像 (横書き) を日本語に合わせて縦書きに変換できなかったものと思われる。しかしそれなら、本書を横書きで出版したら良いではないか。最近は、数学を始めとする理科系の文庫では随分と横書きのものが増えてきた。内容の正確性を期すためにはそうするより他はない。ヒエログリフもまたしかり。文献学とか考古学では、どれだけ現物 (original) に忠実であるかが最初にして最大の課題だろう。どうしてこのようないい加減なことをするのか、僕は全く理解できない。

と、ひとくさり出版社に文句を垂れたところで本題に入る。

ナポレオンのエジプト遠征

ローマ時代以降、エジプトは長らくヨーロッパに対して閉ざされていた。エジプトと欧州が再び接触するのは、ナポレオンによるエジプト遠征 (1798年) によってである。実に千年間、両者に交流はなかった。

ナポレオンは遠征に大勢の学者を伴っていた。これによってエジプトの文物が欧州に持ち帰られた (その中にロゼッタストーンもあった)。本書の冒頭では、このくだりが詳しく描写される。革命前夜の欧州がどうであったか、何故にヨーロッパ人はエジプトに熱狂したのか、初期のエジプト学がいかに粗末であったか。などなど。

ジャン = フランソワ・シャンポリオン

後にヒエログリフを解読することになるジャン = フランソワ・シャンポリオンは 1790年 12月 23日にフランスで生まれた。彼は幼い頃から異常な語学センスを示した。家は貧しかったが、その才能を認めた歳の離れた兄、ジャック = ジョセフは早い時期から常に弟を支援する。兄の物心両面に渡る支援は、弟の生存中、そして死後まで一貫して続いた。これは兄弟の物語でもある。

シャンポリオンは典型的な天才型の人物で、身体が弱く癇癪持ちだった (しかし講義や講演は卓抜していたらしい)。時代は悪かった。ナポレオン政権の誕生と衰退、王政復古にともなう王党派どうしの対立など、シャンポリオンが生きた時代のフランスは政情不安定であり、政府が変わるたびに兄弟の生活は翻弄された。シャンポリオンはいつも金欠に悩まされた。

そんな彼を捕らえて離さなかったのが、古代エジプト語の解明という夢であった。そのために彼は、若い頃からコプト語 (古代エジプト語でほぼ死後) を修得するなど、準備を進めてきた。他のヒエログリフ解読者が、まるで暗号を解くかのように作業を進めていたのに対し、シャンポリオンはあくまで言語、それも歴史や文化を含む「生きた言葉の体系」としてヒエログリフを理解しようとした。

解読の過程で、シャンポリオンは様々な妨害に遇う。資料の入手、出版物に対する批判、アカデミー会員への推挙、生活基盤となる各種学問的ポストへの就職、などなど。シャンポリオン兄弟は何度となく苦境に見舞われる。特にイギリスの研究者、トーマス・ヤングとの対立は根深く、この問題は現在までも尾を引いているらしい。

それでも、シャンポリオンのヒエログリフ解読法があまりにも優れ、しかも翻訳が正確だったので、彼の業績は徐々に認められていった。晩年には国王の援助で、人生の念願であったエジプトへの研究調査にも赴いている。現代エジプト学の源流は、シャンポリオンによるこのエジプト探査行にあるといって良い。

エジプトから帰国して僅か 2年、シャンポリオンはその膨大な研究成果を出版することもなくこの世を去った。41歳だった。彼の著作は、兄ジャック = ジョセフの献身的な努力によって出版された。これによって、人類はヒエログリフに描かれていることを知り、3千年もの間、幾つもの王朝が盛衰したエジプト文明の全容を学んだ。

研究のこと

本書には、ヒエログリフ解読の詳細は書かれていない。どちらかというと、シャンポリオンの伝記といった方が良い。

科学的な思想がいまだ前近代の鎖に縛られていた頃、一つの卓抜した研究が広まり、その価値を認められ、研究者に栄誉が与えられるまでには、バカバカしいほどの障壁が山のように立ちふさがっていた。シャンポリオンのように、不遇の内に生を終えた者も少なくない (そういえばシャンポリオンとガロアは同時代の人である。ガロアもまた不幸な形で人生を終えた)。

この点において、少なくとも現代は随分とマシになった (ように観察される)。iPS 細胞のニュースなんかは記憶に新しいところだ。人類は進歩しているなあ、と実感できる。バカみたいな話だが、そういうことが妙に嬉しいのだ。

恵まれた時代に研究をしているのだから、少々のことは我慢して努力しないとなあ。といつも思うのである。