- 『下山事件 最後の証言』柴田哲孝

2007/10/10/Wed.『下山事件 最後の証言』柴田哲孝

著者の柴田哲孝は、森達也『下山事件』に登場した「彼」その人である。『下山事件』の書評にはこう書いた。

本書は、フリーのテレビ・ディレクターである著者が、下山事件に実際に関わったという男の孫 (『彼』) に出会うところから始まる。「下山病」に取り憑かれた著者は、事件の記録を辿りつつ、『彼』の祖父が所属した組織の調査を開始する。

「彼」こと本書の著者・柴田は、大叔母から、彼の祖父が下山事件に関わっていたという話を聞く。「下山病」に取り憑かれた柴田は、親族やその遺品を中心とした独自の証言、物証によって下山事件の解明に邁進する。実際の事件の進行を追いながら次々と提示される証拠、推理は圧倒的なものがあり、まさに巻置くあたわざるといった感がある。

下山事件の実に奇妙なところは、証言が全く信用できないところにある。意図的な虚偽のリークもあれば、脅迫されての偽証もあり、詳細な事情を知らされなかった故の勘違いもある。一番始末に悪いのは、どちらも誠実な印象を受ける両者の証言ですら食い違いを見せるところである。

そもそも、なぜ著者は本書を執筆したのか。それは (著者の主張によれば)、例えば森達也『下山事件』に書かれる「彼」(= 柴田) の言が事実と違うからである。事件から半世紀以上が経過し、事件の解明のみを目的とした彼らの間ですら、「言った」「言わない」の論争がある。その意味で、下山事件はまだ続いているのだともいえる。

いみじくも、解説で櫻井よしこが以下のように書いている。

下山事件についてはすでに膨大な史料が明らかにされ、数多くの著作が世に問われてきた。にもかかわらず、事件の真相は未だ明らかにされていない。

(櫻井よしこ「解説——どの下山事件関連書よりも興奮を覚えた」)

「興奮を覚えた」という副題が興味深い。「真相が明らかにされたから素晴らしい」のではない。これはもう、むしろエンターテイメントに近い「興奮」なのである。

とはいえ、柴田が引き出した証言、導き出した推理は戦後日本史を考える上で大変貴重なものであることは変わらない。戦後の日本に何が起こったのかを、私達はまだほとんど知らないのではないか。