- 『ローマ人の物語 終わりの始まり』塩野七生

2007/10/02/Tue.『ローマ人の物語 終わりの始まり』塩野七生

『ローマ人の物語』単行本第XI巻に相当する、文庫版第29〜31巻。

前巻『すべての道はローマに通ず』は、インフラストラクチャーの歴史に焦点を絞った外伝的な扱いであったから、本書は、実質的には『賢帝の世紀』の続きである。

本書では、五賢帝の最後を飾る皇帝、マルクス・アウレリウスから筆は起こされる。先々帝ハドリアヌスによって大規模な再構築が行われたローマ帝国は万全盤石となり、先帝アントニヌス・ピウス時代は目立った事件も起こらず、平和な時が流れた。ピウスは、ついにローマから離れる必要がなかったほどだ。しかしこれは、ハドリアヌスの余禄であったともいえる。

一般の人よりは強大な権力を与えられている指導者の存在理由は、いつかは訪れる雨の日のために、人々の使える傘を用意しておくことにある。ハドリアヌスが偉大であったのは、帝国の再構築が不可欠とは誰もが考えていない時期に、それを実行したことであった。

(「第一部 皇帝マルクス・アウレリウス」)

一方、ピウスやアウレリウスにはハドリアヌスほどの政治的 (というかほとんど歴史的) なセンスがなかったように思われる。少なくとも、著者はそのように考えている。

本格的な改造は百年に一度でよいが、手入れならば常に必要ということであった。この意味でのメンテナンスの必要性への自覚が、アントニヌス・ピウスには欠けていたし、マルクス・アウレリウスにも欠けていたのではないだろうか。

(「第一部 皇帝マルクス・アウレリウス」)

まるで江戸時代のような話である。果たして、アウレリウスの時代に「黒船」がやって来る。ゲルマン民族を始めとする外敵の侵入である。ローマ帝国がこれを撃退するのには、多大な時間と犠牲を払わされた。皇帝アウレリウス自身が前線に立ち、長らくそのままであった軍団の配置も変更の必要に迫られた。哲学を愛した哲人皇帝アウレリウスは、前線で病死することになる。

アウレリウスの後を継いだのは、彼の息子・コモドゥスであった。真面目で勤勉な父とは違い、コモドゥスは剣闘試合や競技会に熱中する日々を送る。政治は事実上、側近が行うといった有り様であった。最後には、動機不明の暗殺によって生涯を終える。

コモドゥスの死後、近衛軍団によってペルティナクスが皇帝に推輓される。彼は誠実ではあったが、それ故に支持基盤であった近衛軍団への優遇を躊躇した。結果、わずか 3ヶ月後に近衛軍団によって暗殺される。続いて、やはり同じく近衛軍団の推挙によってユリアヌスが皇帝の座に付くが、これを良しと思わぬ各地の軍団長が次々に皇帝への名乗りを上げる。内乱の始まりである。

最終的に、セプティミウス・セヴェルスが皇帝となる。彼がまず行ったのは、軍団兵の待遇改善であった。

おそらく、皇帝セヴェルスは、ローマ軍の強化のみを考えてこれらの政策を実施したのにちがいない。なにしろその意図ならば、帝国の安全保障を担当する兵士たちの社会的経済的待遇の改善にあるのだから、立派でしかもヒューマンな意図である。善意から発していたことは、まちがいなかった。だが、ユリウス・カエサルはすでに、二百五十年も昔にこうも言っている。

「結果は悪かったとしても、当初の意図ならば立派で、善意に満ちたものであった」

(中略)

これが、ローマ帝国の軍事政権化のはじまりになる。兵士たちがミリタリーでありつづけることに不満をもたなくなった結果、シビリアンになっての第二の人生を切り開く意欲の減退につながり、それが、ローマ社会での軍事関係者の隔離になっていったからだった。

(「第四部 皇帝セプティミウス・セヴェルス」)

皮肉ではある。

そして、この後のローマ帝国は、歴史家の言う「三世紀の危機」に突入する。魚は頭から腐る、と言われるが、ローマ帝国も、「頭」から先に腐って行くのだった。

(「第四部 皇帝セプティミウス・セヴェルス」)