- 『下山事件』森達也

2007/06/07/Thu.『下山事件』森達也

タイトルには「シモヤマ・ケース」とルビが振ってある。

終戦直後の国鉄を襲った 3つの事件——、下山事件 (1949年 7月 5日)、三鷹事件 (同年同月 15日)、松川事件 (同年 8月 17日) の真相はいまだに明らかになっていない。特に下山事件は、その特異さから 3事件の筆頭に挙げられる。これまでにも様々な作家、記者、警察関係者によって推理がなされ、発表されてきた。

下山事件

初代国鉄総裁・下山定則が、GHQ の指示による大量解雇を断行した直後に、電車に轢断された状態で発見される。事件前日、下山は日本橋の三越で失踪、行方不明となっていた。失踪から死体となって発見されるまでの彼の足取りは判然としない。多数の証言は存在する。しかし、その全てを矛盾なく説明することは不可能であった。つまり、どこかに嘘がある。

下山の遺体に東京大学法医学教室が下した鑑定は「死後轢断」、つまり「他殺」であった (鑑定は古畑種基博士)。一方、慶応大学法医学教室の鑑定は「生体轢断」であり、公式にはこちらが採用された。だが、下山の身体と衣服には奇妙な糠油と染料が付着しており、また現場からは、下山のものと思われる血液反応が点々と線路脇の小屋まで検出された (これが日本で最初のルミノール反応試験であった)。状況証拠は、明らかに他殺を示唆している。

不思議なことに、解剖結果が出る以前の時点で、政府各位から、「下山事件は国鉄の共産系労働組合の仕業と思われる」という談話が相次いで発表された。当時、朝鮮半島の情勢は緊迫しており、GHQ は日本に、共産主義に対する防波堤としての役割を求めていた。事実、事件後に労働運動は大打撃を受ける。つまり、下山事件は左翼狩りの契機となるべくデッチ上げられた事件なのだ、下山は GHQ か政府かによって生贄とされた——。というのが、他殺説の主調である。しかし、依然として自殺説も根強く説かれている。

ドキュメンタリー・ノンフィクション

本書は、フリーのテレビ・ディレクターである著者が、下山事件に実際に関わったという男の孫 (『彼』) に出会うところから始まる。「下山病」に取り憑かれた著者は、事件の記録を辿りつつ、『彼』の祖父が所属した組織の調査を開始する。関係者の多くは物故しており、生存している者の口も堅い。やっとのことで得られた証言は互いに矛盾し合い、事件はますます渾沌とした様相を見せる。

事件は時間軸を追って描写され、その間に、取材に奔走する著者の様子が挿入される。著者は下山事件を題材にドキュメンタリーを撮影しようと試み、関係者のインタビューにはビデオ・カメラを持参する。テレビ番組の企画書を書くがあえなく空しく蹴られ、自主製作映画の途を探る。と同時に、雑誌連載の準備を進めるのだが、これも出版社との関係がこじれて惨めな思いをする……。

こういった事柄は下山事件とは何の関係もない。硬派なノンフィクションを求めて本書を手に取った読者は、うるさく思うかもしれない。しかし私は、このような著者自身に関する部分もなかなか興味深く読んだ。本書は、下山事件に関心を持ってしまった人間が、事件を追うに従って変化していく様を記録したものでもあるのだ。そしてそれは、下山事件によって大きく軌道を変更した日本という国のアナロジーでもある。

アメリカにとって最も都合が良よい展開は、下山殺害の背景に共産党が暗躍していたというイメージを日本人が抱くことだ。これによって日本の共産化はくいとめられる。

事件後、アメリカとの関係は強化され、日本はドイツや朝鮮半島のように分断されることもなく、自由主義陣営の極東戦略の一翼として重要な位置を占め続けた。

くどいことを承知で最後にもう一度書く。下山事件は終わっていない。その後の時代は、まだ続いている。なぜなら僕らはまだ、途中下車もしていないし線路を変えることすらしていない。

(「エピローグ」)

本書が目指しているのは下山事件の真相ではない。事件の背後に浮かぶ、一つの時代、一つの国の物語である。