- 『天才の精神病理』飯田真/中井久夫

2007/01/17/Wed.『天才の精神病理』飯田真/中井久夫

副題に「科学的創造の秘密」とある。

病跡学 (pathography) の本である。病跡学の対象は、何らかの天才人である。日本でも「天才と狂気は紙一重」などといわれるが、このテーマは古代から延々と論じられてきた。この課題に精神医学を取り入れたのが、ドイツの医学者・メビウスであるという。以後、病跡学は主に芸術家や思想家、文学者を対象に発展した。彼らはしばしば奇矯な行動を取り、異常な人生を送り、そして卓越した業績を残した。ある意味では「わかりやすい」対象であるともいえる。

本書は「科学者」を対象にした病跡学の嚆矢である。科学者の中にも明らかな天才が存在する。だが、病跡学の対象になるのは芸術家などに比べて遅れていた。彼らの業績が「科学的」である以上、例えばゴッホの絵を観たときに感じるような、「これ描いた奴キチガイだろ」という、取っ掛かりになるような「破綻」が科学者の生産にはない (破綻がないからこそ、その科学者は「天才」なのである)。他にも、科学者特有の様々な特色がある。

われわれの病跡学の方法は、科学者という対象の構造と切り離すことができない。すなわち従来の病跡学が好んで扱った芸術家、思想家の世界が主観的、多義的であるのに比べ、科学者のつくる世界は客観的なことばで語られる明確で一義的なものである。また一般に芸術家がユニークな世界をひとりでつくろうとするのに対して、科学者は学問の歴史的展開と緊密な関係を保って研究をすすめ、共同で研究を行うことも多い。これは芸術家にはほとんどみられない現象である。

(「序にかえて」)

分裂病圏、躁鬱病圏、神経症圏

本書では、科学的天才をその気質から、分裂病圏、躁鬱病圏、神経症圏に分類し、その人生と業績を追いながら、精神医学的な分析を挟みつつ、その創造性との関連を推測する。取り上げられるのは以下の 6人である。

例えば、ニュートンは生涯を通じて錬金術や神学の研究を続けた。この事実は、彼の著作『プリンキピア』に代表される近代科学の精神とはかけ離れた印象を我々に与える。しかし両者の並立は、分裂病圏の人間にとっては自然なことであるという。というよりも両者は、もともと一つの志向によるものらしい。

ニュートンにとっては物理学も錬金術も神学も一つのものであった。強いていえば、それは理神論に近い神学体系と規定することができよう。彼は全宇宙の謎を、神が世界のあちこちに置いた手がかりをもとに読みとることができると考え、その手がかりを天空や元素の構造や聖書の中に求めたのであった。このようにつくりあげられた彼の全世界と現実との接点が彼の物理学であり、彼の内面の祝祭は、物理学という窓口によってのみ現実的世界に開かれていたのである。

(「アイザック・ニュートン」)

驚くべき見解というより他はない。要するに、彼が発見した万有引力に代表される「科学的な」法則は、彼の (大いに妄想的な) 内面世界を統べる秩序の「一部」でしかないわけだ。自己の内面に全世界を構築しようとする試みは、分裂病の人間に顕著な症状である。いわゆる電波系の人間は、「電波が飛んでくる」「私は世界の救世主である」という、余人には理解できぬ理屈で世界を説明する。ニュートンの歩みは基本的にこれと同じであるという。ただ、ニュートンの能力があまりに高く、その「説明」が「完璧な」整合性を持つように努めたがゆえ、彼の神的世界観は (結果として) 現実の物理法則をもって統べられることになった、という解釈である。非常に興味深い。

他の科学者についても、同様の精神分析が試みられる。それぞれの精神病理にはある種のパターンがあり、天才にも色々の種類があることがわかる。巻末には「科学者の精神病理と創造性」と題された総括が書かれており、病跡学自体についても学ぶことができる。