今更ながら読んでみた。名著である。
『この国のかたち』は「文藝春秋」の巻頭随筆欄に連載された、随筆のような評論のような文章である。1回 1回の文量が短いこともあり、文体は硬質で鋭い。
第1巻である本書の前半では、数度に渡り、統帥権について述べられる。
昭和ヒトケタから同二十年の敗戦までの十数年は、ながい日本史のなかでもとくに非連続の時代だったということである。
「参謀」という、得体の知れぬ権能を持った者たちが、愛国的に自己肥大し、謀略をたくらんでは国家に追認させてきたのが、昭和前期国家の大きな特徴だったといっていい。
(略)
明治憲法はいまの憲法と同様、明快に三権 (立法・行政・司法) 分立の憲法だったのに、昭和になってから変質した。統帥権がしだいに独立しはじめ、ついには三権の上に立ち、一種の万能性を帯びはじめた。統帥権の番人は参謀本部で、事実上かれらの参謀たち (天皇の幕僚) はそれを自分たちが "所有" していると信じていた。
ついでながら憲法上、天皇に国政や統帥の執行責任はない。となれば、参謀本部の権能は無限に近くなり、どういう "愛国的な" 対外行動でもやれることになる。
(「"統帥権" の無限性」)
本書を読んで知ったのだが、参謀本部が作成した、統帥権に関する機密文書があるらしい。昭和3年に書かれた『統帥綱領』と、昭和7年に書かれた『統帥参考』である。内容は驚くべきものである。
そのことについては『統帥参考』の冒頭の「統帥権」という章に、以下のように書かれている。
……之ヲ以テ、統帥権ノ本質ハ力ニシテ、其作用ハ超法規的ナリ。(原文は句読点および濁点なし。以下、同じ)
超法的とは、憲法以下のあらゆる法律とは無縁だ、ということなのである。
ついで、一般の国務については憲法の規定によって国務大臣が最終責任を負う (当時の用語で輔弼する) のに対して、統帥権はそうじゃない、という。「輔弼ノ範囲外ニ独立ス」と断定しているのである。
従テ統帥権ノ行使及其結果ニ関シテハ、議会ニ於テ責任ハ負ハズ。議会ハ軍ノ統帥・指揮竝之ガ結果ニ関シ、質問ヲ提起シ、弁明ヲ求メ、又ハ之ヲ批評シ、論難スルノ権利ヲ有セズ。
すさまじい断定というほかない。
(「機密の中の "国家"」)
これ以上引用ばかりしても仕方がないので止めるが、統帥権というものの異常さをこれほど端的に抜き出した文章はないだろう。