- 『司馬遼太郎が考えたこと 13』司馬遼太郎

2005/12/11/Sun.『司馬遼太郎が考えたこと 13』司馬遼太郎

司馬遼太郎随筆集第13巻。1985年 1月から 1987年 5月までに発表された文章が収録されている。

エッセイにしてはなかなかの分量であり、同時に、俺が興味深く読んだのは、「樹木と人」「浄土——日本的思想の鍵」「大阪の原型——日本におけるもっとも市民的な都市」などである。それぞれの内容については詳しく触れない。注目したいのは、これらの叙述方法である。

歴史の叙述

紀伝体や編年体を代表として、歴史には幾つかの記述の仕方があり、それらは常に検討されてきた。どのようにすれば歴史の実態を捉えられるのか。この難問への回答の数だけ、叙述の仕方があるといって良い。

それぞれに一長一短がある。例えば通史。巨細あまねく書くこの方法は、しかし全体像が把握しにくく、ときに複雑になり過ぎる。例えば分野史。政治史、社会史、外交史などといった縦割り型の記述であるが、それぞれが相互作用した結果が歴史であるだけに、視点が偏るきらいがある。例えば時代史。平安史、鎌倉史、江戸史という横割り型の方法論であるが、これも前時代の結果が新時代の原因となる歴史の記述方法としては不完全である。

上記に挙げた 3編は、この問題に対する 1つの回答であるように俺は思った。「樹木と人」では、木を通じて歴史を語っている。「浄土」では浄土宗、「大阪の原型」では大阪という節穴から歴史を覗いている。ある意味で分野史のようでもあるが、それよりも圧倒的にテーマが小さい。しかし、これらは分野史が矮小化されたものではない。専門家は、政治史ならば政治史しか扱わない。重要なのは、様々な題材から捉え直した略史を 1人の人間が書き、読者はそれらを重層的に読めることである。結果、立体的に歴史が浮かび上がる。

特定の視点から述べた歴史を、薄いレイヤーを重ねるようにして何層も何層も積み上げていく。重ねられ、厚みが出てきたセル画を上から見れば、そこには曼荼羅のような歴史が見えてくるのではないか。そんなことを考えた。