- 『ローマ人の物語 危機と克服』塩野七生

2005/10/24/Mon.『ローマ人の物語 危機と克服』塩野七生

『ローマ人の物語』単行本第VIII巻に相当する、文庫版第21〜23巻。『ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち』の続刊である。

ネロの後を次々に襲った 3人の皇帝達、すなわちガルバ、オトー、ヴィテリウス。そしてその後に続くフラヴィウス朝の皇帝達、すなわちヴェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌス。さらにその後の五賢帝時代の始めの 2皇帝、すなわちネルヴァ、トライアヌス。これらの皇帝を本書は活写している (トライアヌス帝は即位までだが)。

ユリウス・クラウディウス朝の崩壊

ネロが暗殺された後、近衛軍団に推挙されて皇位に上ったのは、スペイン属州の総督・ガルバであった。重要なのは、ガルバは神君アウグストゥスの血を引いていないことである。すなわちローマ人は、ローマ帝国皇帝に「血の権威」を必要としなくなっていたのだ。しかしこれは、逆にいえば「血統に関係なく皇帝になれる」ということでもある。「じゃあ俺が」と思う人間が出てくるのは当然であろう。

事実、ガルバはオトーにより暗殺され、オトーが皇帝位に就く。その間、わずか 7ヶ月。これで一気に事態はエスカレートした。内戦である。1年 3ヶ月後、ゲルマニア軍団を率いたヴィテリウスがオトーを降す。オトーは自死し、ヴィテリウスが皇帝となる。しかし内戦は収まらず、8ヶ月後には首都ローマにまで戦火は広がる。ここでヴィテリウスは殺害され、ヴェスパシアヌスが皇位に就いた。まことにめまぐるしい。

フラヴィウス朝

皇帝となったヴェスパシアヌスに残されたのは、いまだ内戦の戦火がくすぶる広大なローマ帝国の再建という課題であった。ヴェスパシアヌスは元老院出身ですらなく、騎士階級の人である。したがって、彼は自分の地位を実績によってローマ市民に認めさせなければならなかった。天才ではなかったが賢明であったヴェスパシアヌスは、着々とローマを再建する。片腕となってくれる善き人材にも恵まれた。税制改革などを実施し、10年の治世で平和の回復を成し遂げる。

と同時に、自らの家系で皇位を継承するための手も打っていた。彼は早くから息子を後継者に指名し、皇帝の権利を法でもって元老院に確認させる。いわゆる「皇帝法」である。これは、彼が騎士階級出身であることの裏返しでもある。皇帝法の大部分は、従来の皇帝の権利を再確認する意味の文言であるが、一つだけ新たに追加されたものがある。それがサンクティオ、罰則免除である。これによってローマ帝国皇帝は、元老院および市民集会から告訴されたり弾劾されることはなくなった。しかしこのような行為が、後にドミティアヌスに受け継がれた感は否めない。

ヴェスパシアヌスの死後、息子のティトゥスが皇帝となる。これは既定路線であった。しかし誰からも愛された皇帝ティトゥスは、ヴェスヴィオ火山の噴火 (ポンペイの埋没) やローマを襲った火災の被害対策に追われ、わずか 2年で病死する。彼の後を継いだのが、弟のドミティアヌスである。

ドミティアヌスは、ゲルマン対策に長大な防壁、リメス・ゲルマニクス (ゲルマニア防壁) を築くなどの成果を挙げる。一方で、積極的に元老院と対決した。告発者制度を用いた元老院議員反対派の一掃などはその一例である。そして彼は、伝家の宝刀に手を付けてしまう。終身財務官への就任である。財務官だけが持つ特権に、元老院議員の罷免がある。ドミティアヌスが終身財務官になるということは、彼がいつでも元老院の議席を剥奪できることを意味する。反対に、皇帝法によって、元老院が皇帝を弾劾する機会は失われている。ローマ帝国の相互チェック機能は損なわれたのだ。この一方的な状況下で、ドミティアヌスは宝刀を抜く。元老院の緊張は極限に達した。

そんなおり、ドミティアヌスは暗殺される。首謀者は、皇后ドミティアである。動機は想像の域を出ない。元老院が画策したという証拠も特にないようだ。

五賢帝時代

ドミティアヌスは「記録抹殺刑」に処された。明らかに元老院の報復である。少なくともローマ市民にとって、彼はそれほどの悪帝ではなかった。

元老院が次期皇帝に推挙したのは、元老院出身でインテリの老人、ネルヴァである。1年 4ヶ月の治世の後、ネルヴァは世を去る。自然死であったという。この短い期間に彼が成した最大のことは、トライアヌスを養子に迎え、後継者に指名したことだろう。トライアヌスは属州出身者である。ローマ皇帝になる条件は、ローマ市民でありさえすれば良い、と宣言したに等しい。