- 『司馬遼太郎が考えたこと 11』司馬遼太郎

2005/10/23/Sun.『司馬遼太郎が考えたこと 11』司馬遼太郎

司馬遼太郎随筆集第11巻。1981年 7月から 1983年 5月までに発表された文章が収録されている。

何といっても俺が驚いたのは、『地方と中央 いわゆる都鄙意識について』と題された文章である。この中で司馬は、「奈良・平安朝にかけて、地方が反乱をおこせば、いくらでも中央を倒すことができたのに、(中略) ちっともおこさなかった」と述べる。その理由について書かれた部分を引用する。

(反乱を) おこしても、中央から命令が行くとすぐ、地方の豪族から現地採用の官吏 (在庁官人) がおそれ畏んで、そのへんの兵をかき集めます。みな「源平藤橘」を名乗っているのですから、朝廷のためと思って、反乱者をやっつけてしまう。こういう仕組みが日本の天皇制をつくったんでしょうね。なぜ天皇制がこんなに長くつづいたか、というと、平安朝における坂東という地方の様子をみればわかります。「源平藤橘」になるということは、それだけ天皇に近いということでしょう。

これは、俺が「家格とは何か」という日記で書いたことと、ほとんど同じである。無論、盗作ではない。自分で考え出したと思ったことが、既に誰かの手によって発表されているのはよくあることである。でも、なんか悔しいんだよなあ。