- Book Review 2005/08

2005/08/30/Tue.

司馬遼太郎随筆集第9巻。1976年 9月から 1979年 4月までに発表された文章が収録されている。

最も興味深かったのが、木と鉄の関係について考察した『砂鉄がつくった歴史の性格』という文章。

中国の発展が比較的早い時代に停滞してしまったのは、新たに鉄を作るだけの力が国土になかったからではないか、というのが要旨。ある量の鉄鉱石を精製するには、同じ重量の木材が燃料として必要になるという。もちろん、精製後に残る鉄は、はるかにその量を下回る。膨大な中国人が鉄を手にしようと思えば、たちまち山は丸裸になってしまう。そして、大陸の樹木回復力は日本のそれに比べて、あまりに貧しい。

中国文明はを育んだ黄河流域は、はるかな古代、森で満ちていたといわれます。(中略) 青銅時代になるとそれを木炭にし、製鉄時代という圧倒的な——社会をゆりうごかし歴史を変えてゆくという意味での——時代がはじまると、華北も華中 (華南はながいあいだ蛮地でした) も森が伐られてついにそれが消滅するというのが、ほぼ後漢のおわりごろでしょう。

(『砂鉄がつくった歴史の性格』)

一方、日本列島の山々において樹木の復元力は凄まじく、加えて、豊富な砂鉄が存在した。容易に鉄を生み出せる原料があり、そのための燃料もある。このような条件下で作られるものは、鋤や鍬、武器などの必需品ばかりではない。余剰は遊びを生む。遊びは文化を生み、そしてまた新たなるモノを求める。この繰り返しが、日本人をして好奇心旺盛で文化を愛する民族にせしめたのではないか。司馬はそう推理する。

全く日本ほど地政学的に面白い土地はない。うまし国日本よ、嗚呼。

2005/08/08/Mon.

司馬遼太郎随筆集第8巻。1974年 10月から 1976年 9月までに発表された文章が収録されている。

俺が特に興味を持った話題は、中国と田中角栄の 2つである。

当時の中国について、司馬は手放しで褒めている。中国の近代的発展を阻害していたのは牢固とした儒教制度にあった。実際、司馬が若い頃には『支那は生存し得るか』という凄いタイトルの本が米国で出版され、日本でも翻訳されたという。司馬は儒教を「大文明 (儒教文明)」と規定した上で、「それを捨てねばならないが捨てたきりでは思想の大空白」ができるため、「埋めるにはあらたな普遍的思想を生み出」さねばらない、と主張する。そして当時の中国では、毛沢東主席のもと、「人間が安堵して生きうる社会が、おそろしいほどの陽気さで出来上がっている」ともいう。今日から見れば、少々過大な評価ではないかとも思える。司馬の感想の当否はともかく、当時の彼がそのように中国を見ていたという事実が興味深い。

一方、田中角栄を見据える司馬の視線は鋭い。先年から日本の土地問題を憂えていた彼は、田中角栄逮捕の報に接し、こう述懐する。

かれが日本の社会にあたえた測りしれぬ罪禍は、土地を投機の対象にする習慣を経済と日本人の骨髄にまで植えつけてしまったことである。

(『一つの錬金術の潰え - 君子ハ為サザルアリ』)

その後のバブル経済を予見した文章であることはいうまでもない。ちなみに、上の小文が発表されたのは昭和51年、1976年のことである。