- Game Review 2013/08

2013/08/02/Fri.

米国でも絶賛された本作が神ゲーである理由を考察する。

本作はオープンワールドのアクションアドベンチャーである。プレイヤーは警察官チェイス・マケインとなりレゴシティの平和を脅かすドロボウ一味を追いかけることになる。変装の名人であるチェイスは様々な職業に扮することで特殊な能力を発揮する。

レゴシティはレゴブロックでできた街である。フィールド上のレゴは壊したり動かしたり組み立てたりすることができる。本作が神ゲーたる所以は複合的だが、ここでは、オープンワールドゲームにおける様々な問題がレゴシティという設定によって解決されている事実について述べる。

オープンワールドゲームにおける諸問題

オープンワールドゲームは広大なフィールド上に構築された世界を自由に探索することが主要な興味の一つとなっているゲームである。TES、GTA、アサシンクリードなどが有名である。この種のゲームでは、提供される世界がいかにリアルかが評価の重大な指標となる。オープンワールドは現実性を追い求めた結果、以下のような問題を抱えるに至った。

これらの仕様はしばしばリアルであるという理由だけで実装され、プレイヤーに無用の不快感をもたらした。また、プレイ難度を高めるこれらの要素は、オープンワールドゲームのライト層への普及を阻害する原因にもなった。

オープンワールドとしてのレゴシティ

レゴシティという設定は、上述したオープンワールドの諸問題に対する一つの解決策として非常に優れている。

レゴシティのベースとなる地形および建物はレゴ製ではなくリアルな質感で描写される。全ての乗り物やアイテム、一部の建造物や地形および付属物がレゴでできている。要するに、レゴブロックは常に操作可能な対象なのである。レゴでないものはプレイヤーのアクションに反応しない。このルールは、プレイヤーがその世界で何ができるのかをこれ以上なく明確に説明する。

本作の企画が絶妙だと思うのは、レゴは常に現実世界を模倣してきたという歴史に基づいていることである。我々がレゴブロックが組み立ててきたのは建物であり車であり宇宙船であった。レゴでできた車はリアルではないが、「レゴで車を組み立てること」は極めてリアルなのである。この文化が、レゴシティというオープンワールドに単純なリアルさとは異なる現実感を獲得させた。

登場人物は全てレゴのフィギュア、すなわちレゴ人間である。三頭身で短足の彼らは、しかし驚くべき身体能力を示す。そして重要なのは、彼らがいかなる振る舞いを見せようとも「レゴ人間だから」というエクスキューズ、否、プレイヤーへの説得力が用意されていることである。ここではリアルさという概念が、現実の模倣度ではなくプレイヤーの納得感として再定義されている。

レゴ人間にシリアスな物語を演じさせるのは不自然である。結果として、本作のメインストーリーはレゴの文脈に則した明るくキッチュなものとなった。これもまた従来のオープンワールドゲームにはない雰囲気である。

その他

本作に対する不満についても述べておく。

ゲーム難度とも関係するが、本作の自由度は従来のオープンワールドゲームに比べて低い。場所によってはカメラが操作不可となり、自由に視点を動かすことができなくなる。特定のアクションや演出時にもキャラクターを操作できない。本作が完全なオープンワールドゲームだと信じてプレイしていると、これらの不自由さに時折イラつくことになる。オープンワールドでは、とにかくプレイヤーが自由に動けることが最大の美徳とされるからである。「これだからライト向けのゲームは……」と愚痴りたくもなる。

レゴシティでは多くのレゴ人間が活動しているが、彼らとコミュニケーションをすることができない。ほとんど背景である。サブミッションにも全く物語性がなく、チェイス・マケインはレゴシティで孤独な存在である。従来のオープンワールドゲームがリアルさの背骨として重視する、AI による社会性の構築がレゴシティには見られない。アイテム収集意外の目的で、無意味に街をブラブラするという楽しみはない。ロールプレイングができないと言い換えても良い。

もっともこれらの感想は、本作をオープンワールドゲームとして見るか、アクションゲームであると理解するかによって異なってくる。あくまでレゴシティという街がオープンワールドとして作られているだけで、本作はオープンワールドゲームではないともいえる。TES のような遊び方ができるわけではない。