- 義理人情

2015/11/01/Sun.義理人情

一口に義理人情というが、義理は仕事で人情は性分である。情深い者の多くは結果的に義理堅く見えるが、それを務めとして遂行しているかは別の問題である。実際、情はあれど怠惰や無能ゆえに義理を欠く人間もいる。同じことだが、律義な者が情に厚いとは限らない。強いて分類すれば、私も義理堅く薄情な性格である。優しい心持ちがないから、義理は意識的に果たすのが常である。

誰しも全ての義理を遂げる時間はない。自ずと優先順位が付される。努めて義理を守る者は、労力と効果を計って優先度を決めるので、その順番が自然な感情からの予想とは異なることがある。したがって、彼の義理の果たし方はときに過大、ときに過小となる。そのように人情ある連中から見られる。過大評価は歓迎だが、過小に受容されては困る。計算したはずの効力が発揮されぬからである。そこで彼は、当初の目算よりも大仰に義理を果たすようになる。薄情な律義者の誕生である。

しばしば彼は、情に厚い者と誤認される。彼もまたその誤解を正さない。すると、彼の本性が偶然に垣間見えたとき、あるいは彼が意図的にその本質を開陳したとき、他者は彼に強い印象を抱く。いわく酷薄である、計算高い、腹の底では何を考えているかわからない、などである。このような光景は割合に多く見られるのではないか。