- 三猿の自由

2013/07/13/Sat.三猿の自由

「見ざる言わざる聞かざる」は窮屈な社会で生きる旧日本人の処世訓であったが、現在では事なかれ主義者を侮蔑する言葉として機能している。しかし私は、情報の津波から自分の時間と自由を護る方法としてこの三猿主義を今こそ再考するべきではないかと思っている。Facebook を見てはいけない、Twitter で呟いてはいけない、Youtube に耳を傾けてはならない。私たちが見るもの言うこと聞くものの大半は無駄である。それらを潔く捨て去ることで多くの時間が手に入るはずであり、そしてそれは自由への第一歩でもある。

自由になって何をするのか。実は私たち庶民がするべきことなど何もなく、それは歴史を通じてそうであった。過去の庶民たちは現代の私たちほど自由ではなく、したがって「するべきことなど何もない」ことについて深く考える必要や余裕がなかっただけである。

さて、私たちは無駄な情報を退しりぞけて自由な時間を手に入れた。自由な時間で何をしようと自由であるが、そこに「ただし無駄なことをしてはいけない」という一条を加えるだけで生活が一段と高度になる。無駄とは何か。まずはそれを考えるのも良いだろう。私たちが目を凝らし、問い掛け、耳を澄ますべき対象は自らの内に在る。

心の奥から湧き出た事柄に自分自身で応えられなかったとき、私たちは改めて眼前の膨大な情報に気付くだろう。情報を摂取するのはそれからでも遅くはない。