- 味わう

2013/06/20/Thu.味わう

米国の食事は不味まずい——、と一蹴するのは日本人にとって容易なことである。そして、簡単なことについてはよく考えねばならない。

米国人を見て覚える最初の疑問は、それほど不味いものをブクブク肥え太るまで食べ続けられるだろうか、ということである。デブが何かをむさぼり喰っている。その絵だけを見れば、彼が口にしている「何か」は美味いに違いないと思うのが自然である。

もう一つの示唆は、自らの経験である。珈琲コーヒー麦酒ビール、煙草……、あれらを初めて口にしたとき、どう感じたか。こんなものが美味いわけがない、そう思ったのではなかったか。しかし我慢をして摂取し続けるうちに味がわかってきたのではなかったか。

なぜ我慢をしてまで幾度も口にしたのか。それらが世間的に美味いとされており、そして実際に美味そうに口にする者が周りにいたからである。ならばやはり美味いのだろう。不味いと思う私が間違えているのだ。そうして私は、それらを能動的に味わうことになったのである。

これは例えば、ある作品が面白いことと、その作品を面白がることの関係に似ている。面白がらないと面白くないという作品はまま存在する。

ここ数日、米国の食事を文字通り噛みしめて味わっている。よく咀嚼をすれば、美味回路の更新も促進されるかもしれない。