米国の食事は
米国人を見て覚える最初の疑問は、それほど不味いものをブクブク肥え太るまで食べ続けられるだろうか、ということである。デブが何かを
もう一つの示唆は、自らの経験である。
なぜ我慢をしてまで幾度も口にしたのか。それらが世間的に美味いとされており、そして実際に美味そうに口にする者が周りにいたからである。ならばやはり美味いのだろう。不味いと思う私が間違えているのだ。そうして私は、それらを能動的に味わうことになったのである。
これは例えば、ある作品が面白いことと、その作品を面白がることの関係に似ている。面白がらないと面白くないという作品はまま存在する。
ここ数日、米国の食事を文字通り噛みしめて味わっている。よく咀嚼をすれば、美味回路の更新も促進されるかもしれない。