- 文のデザイン

2013/06/15/Sat.文のデザイン

携帯端末のディスプレイでも日記を読みやすくなるようにスタイルシートを追加した。渡米以降、外出時の暇潰しはもっぱら携帯電話に依存している。様々なページを小さな画面で閲覧したことで、このサイトのデザインについても改めて考える機会を得た。

デザインの方針は一貫して単純である。情報の密度と可読性を高めること。もっとも、両者は相反する命題なので指針は単純でも実現は容易でない。自作プログラムによる運営という都合上、この課題は簡潔なコードで達成されねばならない。また、読み込みが遅くなってもいけない。以上の条件をクリアした変更だけが実装を許される。

これらの規則は全て「文章を読む」という目的のために奉仕している。しかしさらに深く考えると、このサイトから摂取してほしいと真に私が願っているのは、文字列ではなく文意であることに気付く。であるなら、文章もまた奉仕しなければならない。そこで「文をデザインする」という発想が出てくる。

文をデザインする、という言い回しは聞き慣れない。だが、一考に値する主題のように思う。恐らくそれは、文章を推敲したり構成を工夫したりといった作業よりもさらに原理的・体系的な行為である。また、多様で自由な表現や、文章を読むこと自体の快楽といった文芸的な指向とも異なるように思う。

文のデザインという言葉から私が想像するのは、直線的な構成、簡素で厳格な文法の適用、短文化、よく定義された単語の使用(語彙の制限)などである。人工言語への接近といっても良い。そのような文章を読んで面白いのか、というのは一つの重大な問いである。楽しくないだろうという予測は直感的で説得力を持つが、はたして本当だろうか。挑戦する価値はあるだろう。