- 順番と可逆性

2013/05/08/Wed.順番と可逆性

「順番」について新たに考えたことを書く。

A の後で B が生じるという順番について考える。順番には二種類ある。一つは、常に A の後で B が生じる場合であり、もう一つは、それ以外の場合である。考察の対象としてきた「順番」は前者のものである。

常に A の後で B が生じることと、A と B の関係が不可逆であることは関係する。

筋肉が骨になる病気はあるが、骨が筋肉になる病気はない。これは筋肉の後に骨ができるという発生学的な順番と対応する。なぜ筋肉の後に骨なのかという疑問には進化論的な想像で答えるしかない。すなわち「偶然そうなったのです」。

どのようにして、という質問にならある程度の回答が用意されている。細胞が筋肉や骨に分化していく系列は明らかにされている。重要な遺伝子も判明している。筋肉の後に骨ができるのは、それらの遺伝子が決まった順番で発現しているから——という結論に落ち着く。

発生学的な順番は基本的に不可逆的であると考えられてきたが、決してそうではないことを iPS 細胞が端的に証明した。ならば細胞の状態は可逆的であるのか。それほど単純ではあるまい。iPS 細胞もまた自然に何らかの細胞へと分化する。ここで不思議に思わねばならぬのは、iPS 細胞は必ず体細胞へと分化するということである。人工的に遺伝子を導入したからといって、見たことのない細胞へと変化するわけではない。iPS 細胞もやはり順番を追っているのである。

(ここで気を付けるべきは、体細胞から iPS 細胞への reprogramming は、順番の巻き戻しではないということである。体細胞から iPS 細胞への変化は飛躍的・離散的であって、過去への遡及ではない。例えば iPS 細胞は、自身がどのような細胞であったかを epigenetic に記憶している。このあたりの順番と時間の関係はタイムマシンのそれと似ている。この問題については青山拓央『タイムトラベルの哲学』に詳しい)

発生の段階では強力に順番が推進されるが、成体になると一変して重要になるのが恒常性である。恒常性とは順番の抛棄である。あらゆる性質を可逆的にして特定の状態を維持しようとする働きである。恒常性が破綻すると死ぬ。もはや順番はなく、次に生じるべき事象が存在しないからである。