- 瑞々しい気持ちと満足

2013/02/21/Thu.瑞々しい気持ちと満足

ビザを申請するために米国領事館へ赴き、手続きを済ませてきた。

四月からは米国で生活をする。大きな転機といって良いのだろう。この瑞々しい気持ちを忘れないように……という殊勝な考えは、しかし私にはない。

瑞々しい気持ちの大半は、単なる上ずった、真っ当な判断を阻む、独りよがりの、無知から来る、緊張と失敗を誤魔化すための、ストレス回避を目的として神経系が見せる、客観的には滑稽で醜悪な——幻覚ないし興奮である。この種の振る舞いは、新たな環境における個体の生存・繁殖の可能性を高めるため、そして同種の個体に警告を発するためのものであろう。私は、そのような状態を長く続けるべきではないと考える。

瑞々しい気持ちに麻薬的な効果があるのは確かである。したがって、リスクを承知で「新たな」瑞々しさを得るために行動する、ということはあり得る。これは挑戦と言われる。挑戦なら私もしてみたい。

つまり瑞々しい気持ちで重要なのは、その獲得と処理の仕方である。瑞々しい気持ち自体が素晴らしいのではない。むしろ生物としては異常な状態ですらある。瑞々しい気持ちばかりを過剰に希求すると、浪費癖やギャンブル依存症を患う。

肝心なのは、一時的であるべき瑞々しい気持ちを、より大きく持続的な満足へと昇華すること、そして、そのために相応の努力をすることであろう。