- 絵画教室二十一回目

2012/03/03/Sat.絵画教室二十一回目

絵画教室二十一回目。四枚目の水彩画の一回目。モチーフは熱帯魚(の写真)。

まずは鉛筆で下書きから。前作の鶏、前々作のエリマキトカゲは、いずれも白背景に動物が単体で映っている写真だったので、単純に被写体だけを描けば良かった。しかし今回は海中を泳いでいる魚の写真なので、岩だの気胞だのも描き込まねばならず、作業量が多い。と思っていたら二時間で描き終えてしまった。

講師氏に点検してもらったが、特に問題ないとのこと。少しは上達したのかもしれない。もっとも、彼の指導はいつも熱心なのか適当なのかよくわからないところがあるので、その言葉を鵜呑みにすることはできぬ。だが、自分でも満足できたのでよしとする。赤と青での彩色は次回から。

ところで、僕がモチーフに動物を選んでいるのは、彼らに美を感じるからである。そして、僕にとっての美の多くは機能美である。例えば、観賞用の花の造形は自然淘汰を経たものではなく、機能的でもない。僕にはこれらの花々が、まるでホルスタインやブロイラーのような、ある種の奇形にしか見えない。同じ理由で、犬は好きだがトイプードルの類は嫌いである。

それではサラブレッドはどうなのかという問題が出てくる。彼らの姿は、「走る」という機能を追求した結果の産物である。僕は彼らを美しいと思う。これは、F1 マシンや戦闘機が格好良いのと同じことである。極限の性能=物理法則に対する適応を突き詰めることにより、それらの姿は自然の写像として顕現する。つまり、僕がいう機能美とは、ほとんど自然の美しさそのものなのである。

(もっとも、何に自然を感じるかは人それぞれであろう。それに、そもそも生物は自然なモノかどうかという問題も残っている)

自然を美しいと感じる理由であるが、それは恐らく、新鮮な食材を美味いと感じる程度の理由でしかない。僕は、美がそれほど神秘的なものであるとは実のところ思っていない。ただ、芸術は美的要素のみで構成されているわけではない。美以外の成分とは何か、これから体得することができればと願っている。

関連

過去の絵画教室