- Diary 2012/01

2012/01/28/Sat.

絵画教室十八回目。三枚目の水彩画の二回目。モチーフは鶏(の写真)。

鉛筆での下書きを終え、彩色に入る。使えるのは赤(クリムソンレーキ、ローズマダー、バーミリオンヒュー)と黄(パーマネントイエローレモン、パーマネントイエローディープ、イエローオーカー)のみ。様々な組み合わせで混ぜてみるものの、しょせんは橙、せいぜい茶くらいしか色の幅が出ない。

それでも紙の上で塗り重ねれば色合いに深みが出るのかもしれないが、白が基調でフワッとした鶏の感じを出すためには、あまりベタベタと絵具を盛りたくないという思いもある。モチーフの選択を誤ったか。少し後悔し始めたところで本日は終了。

夜は鱈鍋で晩餐。

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2012/01/26/Thu.

ゲームとは何かを考えるとき、まず思い浮かぶのがルールである。ルールには以下の性質がある。

守らなければどうなるか。

しかしこれとて、「違反したプレイヤーにはペナルティが課せられる」という「ルール」であるとも考えられる。ところで、最も重い罰則は「プレイヤーのゲームからの退場」である。ルールを遵守しないプレイヤーはプレイヤーでなくなる。すなわち、「全てのプレイヤーは常にルールを守っている」ことになる。これがゲームという状態の本質であるのかもしれない。

「ルールは誰が決めるのか」「ルールが守られているか否かは誰が判断するのか」という問題もある。これらの回答として超越者を想定することも多いが、そのような存在がなくとも、プレイヤー同士が合意の上でルールを決定したり裁定を下したりすることも可能である。ゲームの外側に存在する超越者は、ゲームの成立に必須であるわけではない。

2012/01/20/Fri.

一月も下旬に入って年頭所感もねえだろとは思うが、まァ良いじゃないか。

昨年は職場も変わって、特に夏以降は更新頻度が激減した。今年はもう少し書いていきたいと思っている。

ここ一年の妄想ゲームで最大の収穫は「論理の展開には時間の経過を伴う」という、当たり前といえば当たり前の事実である。この問題については引き続き考えねばならぬ。最大の謎は、逆の命題、すなわち「時間の経過は必然的に論理的な展開を産むか?」の真偽である。仮に真であるならば、我々にとって時間の流れが一方向的である以上、全ての事象は論理的なはずであり、ことさらに因果律を考える必要はなくなる。

この指向を突き詰めると、「let it be, なるようになるさ」、あるいはもっと極端に「なるようにしかならないさ」という、どちらかといえば厭世的または冷笑的な思想、もしくは運命決定論に近付いていく。いやいや物理学で決定論は否定されたはずである。しかし果たして本当か。観測問題とも関係するが、「確率的にしか事象が観測できない」ことと「確率的にしか事象は発生しない」ことは同値ではない。

それに、決定論を否定しても全く構わない。「運命は決定されておらず、この世界は無限の可能性に開かれているが、どのようなことが起きようとも、それは全て論理的である」という考え方もできる。

一方で、我々は「非」論理的なことを考えることができるが、これは恐らく記述上の詐術である。我々は論理的な現実世界の中で、脳内の架空論理を操作しているわけだが、前者の論理と後者の論理を混同するから話がややこしくなる。以前にも書いたが、「頭の中にしか存在しないというが、逆に言えば頭の中には存在するのであり、そうである以上、それは具体的で形而下の事象である」。そもそも、「非論理的である」という判断は論理的なものである。すなわち非論理性は論理性に内包されるものであって、対立するものではない。

(同じことが「科学的」「非科学的」論争に対しても言える)

とはいえ、結論を急ぐ必要はない。ゆっくりと楽しんで考えよう。

楽しみといえば、今年も絵を描き続けていくつもりである。数ヶ月後には待望の油絵に手を出しているはずであり、我が二十年来の野望もついにその成就を迎えることになる。

他にも考えていることは沢山あるが、おいおい書いていければと思っている。そのためには、まず日記を書く習慣を取り戻さなければならぬ。しばらくは意識的に更新をするつもりでいる。

2012/01/08/Sun.

絵画教室の新年会に参加してきた。イタリアン・カフェ?を借り切って、四十人ほどの参加であったろうか。盛況である。

聞くところによると、教室には全部で二百人ほどの生徒が在籍しているらしい。ということは……、講師の収入もおおよその額が計算できる。しかし、本業の画家としての活動もあるはずで、そちらの収支はわからぬ。持ち出しで個展を開くことなどもあるだろう。そういえば、絵の売り上げは画商と折半、という話をアシスタント嬢に聞いた。そんなものかという気もするし、画商ボり過ぎだろという気もする。判断ができぬ。まだまだ絵描きの生活には謎が多い。

以前にも書いたが、科学者と画家は、その存在が対極にあるようで共通点も多い。画家を眺めているだけで非常に興味深いし、勉強にもなる。これからも絵描きの生態について、少しずつ垣間見ていきたい。

2012/01/07/Sat.

絵画教室十七回目。三枚目の水彩画の一回目。

引き続き、水彩絵具を用いた混色の練習が課題である。今回は赤と黄という似通った二色を用いる。両者を混ぜたところで、せいぜい橙しか作ることができぬ。ほとんど一色刷りに近い状態だが、そこでどれだけ色の幅を出せるかという訓練なのであろう。

モチーフには鶏(の写真)を選んだ。前回のエリマキトカゲに続いての生物だが、アシスタント嬢には「また質感系で来ましたねえ」と言われた。そういう括りもあるかと妙に感心する。

鉛筆での下書きを大方終えたところで今回は終了。夜は鳥鍋屋で晩餐。

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