- Jargon

2011/08/12/Fri.Jargon

shuraba.com の語源は「修羅場」だが、これは本来シュラジョウと読むのが正しい。シュラバと読むようになった経緯は知らぬ。が、シュラジョウの語感の悪さがほぼ唯一の理由であるに違いない。日本語において発音の問題は重要である。

「新た」はアラタと読む。だから「新しい」もアラタシイと読んでいたが、発音しにくいのでアタラシイに変化した。実用は語義に勝る。

「独壇場」(ドクダンジョウ)は「独擅場」(ドクセンジョウ)の「書き間違い」であるとされるが、私はこの説を信じない。ドクセンジョウは言いにくく、ドクダンジョウは言いやすい。恐らくこちらが先で、文字の誤り云々は後付けであろう。

「ああ杉原(すぎはら)ですか、あの爺さんも達者ですね」

「スギハラではない、スイハラさ。御前はよく間違ばかり云って困る。他人の姓名を取り違えるのは失礼だ。よく気をつけんといけない」

「だって杉原とかいてあるじゃありませんか」

「杉原と書いてスイハラと読むのさ」

「妙ですね」

「なに妙な事があるものか。名目読みと云って昔からある事さ。蚯蚓を和名でミミズと云う。あれは目見ずの名目よみで。蝦蟆の事をカイルと云うのと同じ事さ」

「へえ、驚ろいたな」

「蝦蟆を打ち殺すと仰向きにカエル。それを名目読みにカイルと云う。透垣(すきがき)をスイガキ、茎立(くきたち)をククタチ、皆同じ事だ。杉原をスギハラなどと云うのは田舎ものの言葉さ。少し気を付けないと人に笑われる」

(夏目漱石『吾輩は猫である』[カナは引用者])

これを読んでも名目読みの意義がわからぬ(メミズに限ってはミミズの方が発音しやすいが)。「田舎ものの言葉さ。少し気を付けないと人に笑われる」という台詞が示しているように、悪い意味での貴族趣味、ジャーゴンの一種であろう。

検索してみると、ジャーゴンについては、二〇〇五年二〇〇八年に全く同じ「Jargon」という表題の日記を書いている。私は三年ごとに隠語について語りたくなるらしい。