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2011/06/27/Mon.左右

直立二足歩行する人間において、心室は下(脚側)にあり心房は上(頭側)にある。では、一般的な四足歩行の哺乳類ではどうか。やはり心室が下(腹側)で心房は上(背側)なのだろうか(心室の方が重いから不思議ではない)。それとも心室が後(尾側)で心房は前(頭側)なのだろうか(こちらの方が自然な気もする)。

マウスの心臓は幾つも見てきたが、解剖でも心エコーでも、それは全て麻酔下における仰向けの状態でのことである。歩行中のマウスの心臓が胸腔内でどのような位置を占めているかについては全く知らない。周囲の人間に尋ねてみたが、誰も正確なところを知らぬ。

他にも疑問はある。

母なる海に別れを告げた魚類が、両生類以降の陸上脊椎動物へ進化したといわれる。魚類の骨格を見ると、一つの椎骨から腹側と背側へと一対の肋骨が伸びている。一方、陸上脊椎動物では、椎骨から左右に肋骨が生じている。問題は、魚類の腹-背の肋骨はそれぞれ、陸上脊椎動物の左-右の肋骨どちらと対応しているのかということである。

一般的に、腹-背は非対称であるが、左-右は対称である。したがって肋骨の進化は、単なる位置の移動ではなく、発生学的に質的な変化を伴っていると思われる。

上の段落とは逆説的になるが、左右対称であるなら、論理的には、腹側の肋骨が右の肋骨になろうと左の肋骨になろうと、どちらでも良かったはずである。

哺乳類の左右は基本的に対称であるが、非対称な配置を取る臓器もある。例えば心臓は左に片寄っており、肝臓は右にある。仮に、この配置が全ての陸上脊椎動物に共通しているなら、それは最初に「体を捻った」一匹の魚の影響が残った結果ということになる。

もっとも、内臓における左右の非対称性は絶対的なものではない。内臓逆位といって、臓器の配置が正反対になる場合がある(個々の臓器に機能的な問題はない)。私はラットで一度だけ見たことがある(ラットの内臓写真)。内臓逆位が頻発する病気や変異体も知られている。これらのケースでは、左(右)を左(右)とする機構が弱まっているため、左右の別が無作為に決まると考えられている。左右の非対称性はその程度のもの、ともいえる。

左右(より正確にいえば鏡像)は本質的に区別できない、よってその選択には偶然が働く——。そんな例は他にもある。生物は L-型アミノ酸しか利用しない。この事実に対する合理的な説明は今のところない。

左右の定義は哲学・言語学上の古典的な大問題でもある。言語のみで左右を峻別する手段は存在しないともいわれる。すなわち左右は視覚的な認識によって成立する概念であって……、と考え始めたら面白くなってくる。鏡をモチーフにした騙し絵などは、このような左右の性質を利用している。あるいは、左右を上手く活用した小説は書けないものだろうかと妄想することもできよう。まだまだ掘り下げられていない題材が存在しそうである。