新しいラボでの生活も三週間が過ぎた。研究室の雰囲気も大体掴めたように思う。
この間、京都の仕事についての文章を書いたり、それに飽きたら新しいテーマについて調べものをしたりといった具合で、勝手気儘に時間を使ってきたが、来週からは本格的に動き出す予定である。新しいボスと相談し、まずは実験系の立ち上げに挑戦する。
二十三日には京都に行って、学位記をもらってきた。やっとというか、ようやくというか。博士課程に進学する二年前から研究を進めていたので、幸い、論文の心配をすることはなかったが、その一方で、どうも感動に欠ける。贅沢と言えば贅沢だし、遠回りであったといえばそうかもしれぬ、めでたいといえばめでたいが、何かが終わったわけでは全くなく、複雑な心持ちでもある。
その夜はボスを初め、研究室の面々に送別会を開いて頂いた。一番嬉しかったのは、ボスが——俺以上に——俺の学位取得を喜んでくれたことだ。彼はこれまでに何人もの学生に学位を取らせてきたが、大学を去り、病院で研究室を主宰してからの博士は俺が初めてである。それが嬉しいらしい。確かに、色々の苦労があった。
これからは、お世話になった方々に恥じぬ仕事をすることで、恩を返していけたらと思う。
最近読んだ書名を掲げて評に代える。
『E = mc2』が面白かった。第二次世界大戦中における、ドイツとアメリカの原爆開発合戦の内幕、特に、連合軍によるドイツ領ノルウェーの重水工場破壊作戦の経緯は手に汗を握る。
先日の日記で「地震の発生『予知』の科学的いかがわしさ」について書いた。
その後、東北地方太平洋沖地震について以下のような発表があった。
気象庁は15日、最大震度5強以上の余震が18日までに発生する確率が40%で、14日の推定と変わらないと発表した。その後の3日間も同様に20%とした。
同庁の横田崇地震予知情報課長は「全体として特段変わった状況はない。もう少し活動の推移を見ていきたい」と慎重な姿勢。一方で、「今後の余震活動は減っていくとみられる」との見通しも示した。
(時事通信 三月十五日十九時九分)
こんな予報に何の意味があるのか。余震が起こらないに越したことはないが、起これば起きたで「40% なので」となるだけであろう。そもそも、降水確率とは違って、傘を持っていくなどの具体的な対策がないのだから、予知を聞かされたところでどうしようもない。一斉に東北から脱出しろとでもいうのか。あるいは、覚悟しろとでも。もはや流言の類だと断じても良い。いずれにせよ国民を馬鹿にしている。もっと流すべき情報があるだろう。
一方、余震とは全く別に、静岡で大きな地震が起こった。
静岡県富士宮市で15日夜、震度6強の強い揺れを観測した地震について気象庁は、震源地は静岡県東部で震源の深さは約14キロ、地震の規模を示すマグニチュード(M)は6・4と発表した。
(産経新聞 三月十六日〇時十五分)
このような地震が起きることを、誰か予知し得たのであろうか。気象庁の「地震予知情報課」とは一体いかなる部署なのか。地震予知「情報」課、という点がミソであろう。予知をしているわけではなく、予知の情報を扱っているだけ——、ということなのだろう。しかし(現段階では)できぬことを、さもできることであるかのように振る舞うのはいかがなものか。誤解を招きかねない。
今日は仕事で京都に行くが、正体不明の自粛ムードが一部で蔓延っているようで、予定されていた送別会が中止となった。関西の我々が自粛することで、東日本が幾分でも安全になるのなら喜んで自粛するが、そのような展望はもちろん一切ない。集めた会費を義援金に回すならまだしも、そういうわけでもないらしい。
また、この考えを突き詰めて行くと、「こんなときに酒食を提供している飲食店はけしからん」という発想にさえなる。これは一種の差別的で危険なデマゴギーである。「パーマはやめましょう」という戦時下のスローガンと何も変わらない。
震災初日に、「当事者気分だけを味わって自分の気持ちを誤魔化す暇があるなら、義援金でも投じた方が良いだろう」と書いたが、まさに予想通りの mentality を持つ人物が現れたわけである。遊興目的の宴会ならともかく、こういうときだからこそむしろ送別会は予定通りに開催し、去り行く人たちと残る人たちがしっかりと交歓することで、以後の人間関係へと繋いでいくことの方が、よほど意義があるように思うのだが。
案の定(?)、中止決定後に静岡で地震が起きた。ここで「やっぱり中止にして良かった」と思うか、「やっぱり中止に意味はなかった」と思うかで、その人の考え方がわかろうというものである。
二つの学会が対照的で面白い対応を見せた。
主に循環器の医師が会員である日本循環器学会は、横浜で開催される学術集会を中止した。彼らは今すぐ役に立つ知識と技術を身に付けている。数年後の医療のために学識を高めるよりも、眼前で求められている治療に集中することが優先されるという判断なのだろう。大学病院からは医療チームが派遣されたと聞いた。多くの地域で同じことがなされているに違いない。
一方、基礎の研究者が多い日本薬理学会は、同じく横浜での学術集会を開催する方針で検討を続けている。「本会の使命であります薬理学の振興のためには対面による討論が不可欠であると考え、困難な状況ながら開催に向けた努力を継続しております」。静岡の地震によって結局は開催中止となるであろうが、そんなことは問題ではない。彼らは、自分たちでできることを考え、可能な限り学術集会を挙行した方が良いと判断しつつあったのである。
人にはできることとできぬことがある。我々がなすべきは、自粛という名の萎縮ではなく、目下できることに最大限の努力を払うことだろう。
宮崎の噴火や東日本の地震のような災害が起こるたびに思うのは、火山の噴火「予測」や地震の発生「予知」の科学的いかがわしさである。
擁護しておかねばならないが、日本の地震研究のレベルは間違いなく世界一であり、防災への社会的取り組みや国民的関心もまた世界随一である。それでもなお、科学的に地震を予知するのは(まだ)不可能だというのが現在主流の認識である。
(地震の発生はむしろ chaotic ですらある。過去の観測記録から「○年周期で云々」と語るのは、統計学的ないし確率論的な推理に過ぎない。このような data で地震を予知するのは、放射性原子の崩壊を予測するようなものである。我々はある原子集団の半減期を知ることはできるが、特定の原子がいつ崩壊するかを知ることはできない)
地震の予知を可能にする科学的原理が存在する可能性はあるし、そのためにも研究は続けられなければならない。しかしもっと、地震予知は「現段階では極めて」困難であることは啓蒙されて良い。
ところで、気象庁は、地震予知は困難という態度をはっきりと表明している。
役所だから当然といえば当然である(「予知できる」と言明して予知できなかったら袋叩きにされる)。
ともかく、地震予知の可能性を誇大気味に宣伝しているのは科学者の側であるらしい。地震「予知」学者どもが政府の膨大な予算を蕩尽し、静岡県民を散々に脅した揚げ句、阪神大震災については何の警告も発していなかったのは有名な話である。あれだけの金を使えば、当時でも日本人の genome を解読できたのではないか。
繰り返すが、日本の地震研究は極めて優れているし、また地震予知の研究も続けられなければならない。ただ、研究の進捗は科学的に厳しく判定されなければならぬし、その現状は正確に伝えられなければならない。国民の地震への関心が高いのだから、なおさらである。
東北地方太平洋沖地震で被災された方々にはお見舞い申し上げる。
などと書いたところで毛ほどの役にも立たぬ。今回の災害に限った話ではないが、僕たちのほとんど全員は傍観者に過ぎず、どのようにあがいても、それ以上の者になれるわけではない。僕はその事実を阪神大震災のときにイヤというほど味わった。あのとき、僕の住んでいた街は実質的な損害を被らなかったが、なまじ神戸に近いだけに、情報だけは洪水のように流れ込んできた。毎朝毎朝、神戸新聞でゲップが出るほど被災地の記事を読んだ。でも、そんなものをいくら摂取したところで何も変わらない。苛立ちばかりがつのる。
だから東北地方太平洋沖地震のニュースも見たくない。「不快な情報から目を背けているだけではないのか」と問われるかもしれないが、真正面から向き合ったところで、何もできないという現実は毫も変わらない。当事者気分だけを味わって自分の気持ちを誤魔化す暇があるなら、義援金でも投じた方が良いだろう。
実際、我々が行える範囲で最も効果的な行動は義援金の拠出ではないのか。真心を金銭で示す良い機会である。阪神大震災のとき、ボーイスカウトで募金活動を行ったことを思い出す。あのときの集まり具合は、定期的に行っていた赤い羽根共同募金の比ではなかった。日本人は優しい。例えば今この瞬間、暴動が起こるのではと不安を抱いている人はほとんどいないだろう。これはとても素晴らしことである。
この年度末、全国の研究室では、予算の帳尻を合わすためにつまらぬ物品を購入する作業が行われている。研究費から義援金を出したり、あるいは毛布などを買って寄付したりするとどうなるのだろう。やはり罰せられるのだろうか。男気とユーモアと反骨精神のある研究者は実行してみればどうだろう。各所に対する強烈な問題提起と皮肉になると思うのだが。
しばらく先のことになるが、新任地での初任給は、募金に使おうと決めた。忘れぬよう書いておく。
東北地方太平洋沖地震が発生した。大阪の研究所でも、はっきりとわかるくらいに揺れたので驚いた。
結婚して秋田に行った妹の安否が気に掛かる。東北には繋がらぬだろうと思って母親に電話をしてみたところ、義弟とは連絡が付いたという。その義弟は妹の携帯電話に一度だけ繋がったらしいが、それによれば、とりあえず二人とも怪我はなく無事であるらしい。日本海側では家屋の倒壊などもないという。それでも妹はどこかの学校に避難をしているとかで、風邪でもひかないかと心配は尽きない。
まだまだ情報が少ないが、太平洋側では死者も出ているという。Dr. A などはどうされているだろうか。阪神大震災が頭を過り、胃がキリキリとする。一日も早い復興を願わずにはいられない。
新しい lab の雰囲気や一日の流れというものが大体わかってきた。
京都の labs とは随分と印象が違うが、あちらは病院や医学部、こちらは研究所なので、当然といえば当然であろう。新しい lab には学生もほとんどいないから、大学ともまた感じが異なる。大学病院の三本柱は医療・教育・研究、大学の使命は教育・研究といわれるが、研究所では基本的に研究だけを行えば良い。施設の目的が違うのだから、空気もまた自ずから異なってくるということである。
新しい lab では、八時半から "Molecular Biology of the Cell" の勉強会があり、九時からは簡単な meeting が行われる。その後、各々の仕事に取り掛かるわけだが、皆がボスと頻繁に contact を取っている点に最も関心を惹かれた。忙しいのが常である MD 相手だとこうはいかない(ちなみに、新しいボスは MD だが外来などは全くやっていない)。
この三日ほどは、そのような生活を横目で眺めつつ、あてがわれたデスクで関連論文を読んで勉強をしている。しかしそろそろ飽きてきたので、何か手伝えそうな実験があれば志願してみようかなと考えている。正式な採用は四月からなので、共通の機器や施設などは使えないが、それでもやれることはあるだろう。
ところで、京都大学入試問題投稿事件だが、もし一芸入試であったなら、これは相当な performance であるなあと思わずにはいられない。計画には杜撰な部分もあったが、その冒険心というか hacking 精神を、例えば工学部の連中が称賛するといったようなことがあっても良かったし、そんなコメントを無責任に出せるくらいの自由が大学には欲しいとも思う。
リチャード・P・ファインマン『物理法則はいかにして発見されたか』が面白かったので、引っ越し作業の合間に『ご冗談でしょう、ファインマンさん』『困ります、ファインマンさん』『ファインマンさん最後の冒険』『聞かせてよ、ファインマンさん』を読破する。これらの本で語られる逸話の数々は、一見雑多なように見えて、しかしいずれもファインマン特有の科学精神が発揮されており、これから新しい仕事を始める自分に大きな刺激となった。
さて、やるべきことは多いが、多過ぎて何から手を付けて良いのか、やや呆然としている。問題解決能力の大半は問題分割能力である——、と書いた記憶があるのだが見当たらない。ともかく、本当に新しいアイデアが要求される問題というのは、実際にはほとんどない。分割された小さな問題どものほぼ全ては何らかの作業か調べ物であり、これらをこなさないのは怠慢か、さもなくば問題分割が上手くいっていないかのどちらかである。
四日。引っ越し業者のトラックが故障する、PiTaPa カードを紛失するなどの accident に見舞われたが、夜までに引っ越し作業を終えることができた。
五日。新居にはエアコンが付いていないのだが、暖房なしで乗り切るにはまだ春は遠い。しかしこの季節、ほとんどの暖房器具は売り切れている。残り少ない選択肢で大いに悩んだ末、デロンギ社のパネルヒーターを購入することにした。実家では十数年前からデ社のオイルヒーターを使用しているが、あまりにも火力が低いので、実のところデ社に対する印象は良いものではない。不安を抱きながら電源を投入したが、さすがというべきか、最新機種は良い感じで部屋が暖まる。完全に無音であるのも素晴らしい。大変気に入った。
服などを買い足し、夜になってから書斎を整理する。明朝に新しい机と椅子が届くので、それまでに段ボールを撤去しておかねばならぬ。午前三時までにとりあえず文庫本を片付け、さて研究関係の A4 判はどこに置こうか……と考える間もなく、久し振りの筋肉痛とともに熟睡。
六日。待望の机と椅子が届く。ついに全貌を現した我が新書斎を眺め、しばし自惚れの笑みを零す。気色の悪いことである。
物欲の稀薄な自分にとって、思うがままの書斎を構えたいという欲望は、仕事に対する貴重な motivation でもある。書斎へのこだわりは、高価な自動車を customize したい、高級ブランドのファッションを身に纏いたい、素敵な庭のある一戸建てに住みたいなど、一般的によく耳にする願望の変形に過ぎない——のだろう。普通のことだと自分では思う。
今日は午後から新しい職場を訪れた。ラボの運営についてボスから lecture を受けた後、早々に帰宅する。年度末で誰もが忙しいし、移動する人も多いという。まぁ三月はボチボチと、ということになった。私も京都の仕事で書き物があるので、それぐらいがありがたい。
昨日は引っ越し先に赴いて市役所などを回ってきた。実際の引っ越しは四日だが、当日は作業に忙殺されることがわかりきっているし、その翌日は土曜ときている。月曜から生産的に動くには、前もって諸々の手続きを済ませておいた方が良いだろうと考えたのだ。
引っ越し先はベッドタウンである。街というほどではないが、さりとてド田舎でもない。僕がこれまで住んできたのは、住宅地は当然のこと商業地区もあればオフィス街もあるという、それなりに完結した街——城下町にはこのパターンが多い——ばかりだったので、いわゆる衛星都市を実感するのはこれが初めてだ。
駅前の不動産屋で新居の鍵を受け取り、バスに乗って職場の前まで行く。新しい仲間に挨拶するため……ではない。ここから家まで歩き、実際に何分かかるかを計測するためである。
出発してから六分後にコンビニを通り過ぎ、それから四分で我が家へと辿り着いた。悪くない位置関係だ。研究所の敷地は広いから、door to door で十五分弱といったところか。僕は歩くのが早いから、距離にして約一五〇〇メートルという計算になる。毎日の運動には丁度良い。
それから市役所に行くわけだが、いかんせんバスの本数が少ない。かといって歩いて行くには遠過ぎる。幸い、近くにホームセンターがあったので自転車を購入することができた。自分で自転車を買って乗り回すのは十年ぶりである。大学生の頃はバイクと原付を持っていたし、京都ではあらゆる二輪車に跨がる必要すらなかった(そもそも駐輪する場所がない!)からだ。
久し振りの、そして真新しい自転車に気分を良くした僕は、こいつを漕いで周囲を探検することにした。ちょっと行ったところに馬鹿デカい、そして夜遅くまで開いている——この点が最も重要だ——ショッピング・モールを見付けたときには小躍りしたものだ。ここなら大抵の生活用品を揃えることができる。
早速、電球を買い漁ることにした。風呂場やトイレには既に白熱灯が備え付けられているが、僕は白熱灯の黄ばんだ光が好きではない。蛍光灯に比べて薄暗くて景気が悪いし、何だか寂しい感じもするからだ。そこで、蛍光灯タイプの電球を購入することにした。こいつの光は白くて明るく、その上寿命が長いから交換の手間も省けるのだ。消耗品の補充といった煩わしい作業をいかに退けるかは、僕の生活において大きなテーマである。
パッケージを見ると、蛍光灯の寿命は一万三千時間とある。毎日十時間灯したとしても、三年で一万一千時間にしかならない。つまり、新しい仕事の任期中に電球のことを気にする必要は全くなくなったのだ。素晴らしい!
さて、このモールは実は AEON なのだが、火曜日だったので、店内には火曜市のテーマソング(?)が延々と流れている。これが実に面白い。男の子がラップ調のリズムでこんなことを歌っているのだ。
いかんせん新鮮
甚だしい美味しい
これから毎週 Tuesday は ママにありがとうのチューするで〜新鮮第一
笑顔がピカ一
今日は AEON の火曜市
店内にいたときは、この曲をほぼ完全に暗唱できていたのだが、帰京する電車の中で本を読んでいる内に綺麗サッパリ忘れてしまった。残念である。引っ越したら、火曜は AEON に行くことにしようと思う。これまではティッシュやシャンプーなどもコンビニで買っていたが、そのような堕落した習慣を断ち切る良い機会だ。
一方、本屋と飯屋が質量ともに絶望的であることもわかってきた。書店は Amazon で代用できるし、利用頻度だって知れている。しかし毎日の食事だけは何とかせねばならない。大変な難問で、非常に困っている。
「トカゲの尻尾切り」は有名な話だが、実際にその現象を目の当たりにしたことはない。巷間で伝えられている内容は概ね以下の通りである。
この話からわかるのは次の事柄である。
以上の前提から私が思うのは以下のことである。
……話というものは往々にして単純化され、不正確になるものである。気を付けねばなるまい。