- 病気と目的(二)

2011/02/28/Mon.病気と目的(二)

学会で宮崎に行ってきた。

飛行機の中でダニエル・タメット『天才が語る』を読む。サヴァン症候群である著者自身がサヴァンを語るということで、アレクサンドル・ルリヤ『偉大な記憶力の物語』のような話を期待したのだが、中身は一般的な啓蒙書であった。オリヴァー・サックス『妻を帽子と間違えた男』についての批判的な記述があり、「サヴァンは特別な症状ではない」という主張が繰り返しなされている。

学会では自閉症マウスに関する講演があった。染色体のある領域が duplicate されると、自閉症のような表現型が出る。複製領域にある遺伝子は、野生型に比べて発現量が二倍前後になる(ものがある)。当然といえば当然だし、取り立てて激烈な変化でもないように思えるが、極めて特徴的な行動が観察される。

行動はともかく、マウスの知能を測定するのは難しい。この自閉症マウスがサヴァン症候群のような感覚を持っているのかはわからない。しかし染色体の一部が複製されるだけでこれだけの変化があるのなら、突然変異によって知性が獲得されることも充分に起こり得るだろう、という気にさせられる。研究の進展に期待したい。

講演された先生も、サヴァンやアスペルガーは特殊な病気ではないと言っておられた。「特に基礎の先生の中にはそのような方もいらっしゃるかと思いますが」というジョークには爆笑するしかない。

話題を変える。心筋肥大反応のメモについて、もう少し補足したい。

心筋細胞が病的に肥大するときには、遺伝子の発現が成人型から胎児型へと変わる。肥大時に見られる胎児型の遺伝子 program は、心臓の分化・発生に見られるそれと類似している。というよりも、強い自然選択によって洗練された発生のための program がまず存在し、その機構が病的肥大の過程で再び現れている——、というのが順当な考え方だろう。問題は、これが program の意図した使い回しなのか、そうでないのかということである。

(ヒントになりそうなのは、ある環境において、健康な状態と病的な状態のどちらが物理化学的に安定した反応なのであろうかという考え方である)

病気の発症機序を議論するとき、その system の目的が問われることは少ない。病気が起きる機序は当然存在するが、「病気を起こすための機序(病気を起こすことを目的とした機構)」は存在するのだろうか。普通に考えると、そんな program はあるわけがないように思える。この直感が上記の仮説の源にある。すなわち病気の mechanism は、他の目的のために作られた program の別な形での顕れ、という考え方である。

(全く無秩序な命令文の集合として病気の program を考えることも不可能ではないが、実際にそういうことは起こりそうにもない。生命現象は化学反応の連続であり、部分部分には、エネルギー的に安定して自動的に進行する回路が存在する。このような subroutine は一つの塊として実行されるだろう。しかし引数や戻り値が異常な値を取れば、メインの函数にも影響が出るに違いない)

ここで apoptosis を考えると話が複雑になる。Apoptosis によって細胞は自殺するが、それは組織や個体を生かすためでもある。したがって理屈の上では、個体や個体群を保存することを目的とした病気、つまり「病気を起こすための機序」があってもおかしくはない。

結局、わからないことばかりである。