- 価値観と孤独

2010/06/26/Sat.価値観と孤独

有害図書を指定したり、非実在青少年を保護するというのなら、まずは『源氏物語』を焚書にすればどうか。少女監禁飼育事件(若紫)などはヒドいものである。

芸術と猥褻の間に法律で線を引くのは愚かなことである。澁澤龍彦の例を出すまでもない。

これと関連して、娯楽作品における性と暴力の問題もまた論じるだけ虚しい。Apple ではこの規制が厳しく、日本の漫画の掲載は絶望的だと聞く。性や暴力を扱わない娯楽作品がどれだけ存在するというのか。ディズニーとジブリ、あとは『サザエさん』くらいか。二十歳を越えてもこのような作品にしか興味を示さぬ者がいたら、その方がよほど恐ろしい。

ところで、'00 年代最高の映画は『ダークナイト』である、という評があるらしい。これに対して激怒していたブログがあり、意を同じくした。『ダークナイト』は『ダークナイト』である以前に『バットマン』である。「最も面白い映画」というのなら理解もできるが、「最高」という評価は不見識としかいえない。

各人が評価を戦わせるには、前提として評価軸の一致を要する。価値観といっても良い。現代ではこれが多様化しているので、議論が成り立たない場合も多い。しかし、他者と語り合う必要などあるのだろうか。溢れるほどのコンテンツに囲まれるようになった今、ふとそんなことを思う。触れるべき作品は多く、人生は短い。

価値観の多様性は認められるべきである。結果としての孤立をどう受け止めるべきか、それこそが問われている。孤高をもって自らの価値観を守るなら、孤独に耐えられぬ者どもの群れとも、ときに対峙せねばならぬ。エネルギーを費やして戦わぬまでも、自分の評価軸を語る言葉くらいは用意しておいた方が良い。