- 今に在りて今を見ず

2010/06/17/Thu.今に在りて今を見ず

膜宇宙論という理論がある。それから、アカシック・レコードという概念がある。宇宙と細胞は同じではないのか。無論、冗談である。

歴史に興味があり、その時代時代の文化や社会、法律や経済にも関心がある。けれども、現在におけるそれらには食指が動かない。過去は固定されているが、「今」は流動しているからである。

生物学では、「今」眼の前に生きている生物を実験の対象にする。しかしその過程で我々が触れるのは「今」ではない。Homo sapiens は約二十五万年前に成立した。したがってヒトの研究は、二十五万年前に関する研究でもある。例えば DNA は、モノとしてこの考えを担保する。歴史における文献のようなものである。

化学反応や物理法則、あるいは数学も同様である。程度の差こそあれ、いずれも固定され、流動していない。これを普遍性という。普遍だから解き明かす意義がある。

逆説的だが、普遍性には限界がある。我々の生物学は、地球の生命に対してのみ有効である。我々の知る物理法則は、ビックバンからある時間後においてのみ適用される。ある公理系で得られた定理は、その公理系でしか使えない。

科学の研究は、しばしば「最先端」と形容される。最新の望遠鏡は最古の銀河を捕捉する。発揮される普遍性は、固定されているがゆえに時空を超越する。いつどこで見ても同じだからである。