- 引き篭もろう、本を読もう

2010/03/29/Mon.引き篭もろう、本を読もう

好きなように生活したら良いのではないかと思う T です。こんばんは。

「書を捨てよ、町へ出よう」という文句をスローガンとして捉えたとき、そこから俺が感じられるのは田舎者のコンプレックスのみなのであるが、そういう意見はあまり聞かない。

『書を捨てよ〜』を著した寺山修司が生まれ育った青森にはそもそも「町」がなく、彼の無聊は「書」によって慰められるしかなかったという背景がまずある。そんな寺山が東京にやってきて、「うはww町スゲえww本なんか読んでる場合じゃねえww」となるのは理解できる。だから「書を捨てよ〜」という標語は本来なら田舎者にこそ共感されるべきものだが、寺山を支持したのは多くの都会人であった。不思議な話である。

町の住人である都会人は「町」にウンザリしていなかったのか、という素朴な疑問が湧く。都会人は、町の騒がしさ、つまらなさ、くだらなさ、意味のなさに気付き、見るべきものなどないと悟り、町へ出るくらいなら家で本を読んでいた方がマシ、「引き篭もろう、本を読もう」と唱えるべきではなかったか。

『書を捨てよ〜』が出版された 1967 年当時、日本にはまだ真の「町」も「都会人」もいなかったというだけなのかもしれない。いずれにせよ、当時まだ生まれてもいなかった俺にはわからぬことである。

さて、実をいえば、『書を捨てよ〜』という本の中身は、上述したような「書を捨てよ〜」という標語とは別物である。あまりにも有名なこのタイトルだけが独り歩きしているので誤解も多いようだ。しかし、今どき『書を捨てよ〜』を読む若者などおらぬだろうし、誤解のままでも構わないのではないかと思う。『書を捨てよ〜』は時代の書物である。現在の若い人に得るところがあるか、いささか疑わしい。

一つ、話のネタになる豆知識を書いておく。文中でも明かされているが、「書を捨てよ〜」という文言はアンドレア・ジイド『地の糧』からの引用である。何のことはない、寺山は「書を捨て」たわけではなかったのだ。もっとも、この人の書くことは大抵いい加減だから、別に驚くことではない。

ちなみに俺は、生まれてこの方、人口数十万から百数十万人の地方都市ばかりで生活してきたので、自分のことを田舎者だとも都会人だとも思っていない。じゃあ何だ、と問われても困るが。