- 充実

2009/11/17/Tue.充実

のろのろと生活している T です。こんばんは。

この日記がもはや日記というよりはむしろ随筆に近いものとなって久しい。理由は様々だが、記録するに価する日常的事実の性格と、ネット上で公開しているこの日記の性質とが、互いに相容れないという場合が最も多い。書くとなればいきおい一般論にならざるを得ず、ゆえに随想然となるのもやむなきことである。

「いったい何者がこの日記を読んでいるのか」「その者にとってこの日記は面白いのか」というのは長らくの疑問であり、アクセス解析を自作して色々と分析したこともあったが、それも止めてしまった。現在はログも取っておらずアクセス数すら不明である。それが原因か結果かはわからぬが、今はもうあまり気にならない。

文中からリンクを張るために過去の日記を読み返すことも多いが、波長の合う人間には面白くなくもないかな、と思えることもたまにある。年に何度かは「日記を読んで〜」というメールを頂戴したりするので、何かしら伝播しているものもあるのだろう。

自分の預かり知らぬところで、自分の力が幾ばくかでも影響している。このような事実——例えば、自分の論文が引用されているのを見付けたとき——は私に生を実感させるし、世界と関わっているような気にさせてくれる。このような考え方は、大袈裟に言えば、いわゆる「歴史に名を残す」といったタイプの志向であろう。私自身には、とてもそこまでの欲望はないけれど。

世に哲学は様々あって、「歴史に名を残す」のではなく、もっと個的な事物に生の充実を求める主張もある。例えば、眼の前の者を一所懸命に愛せよ、それはお前にしかできぬことだ、といった類の言説である。あるいはもっと快楽主義的なものもあろう。すなわち、とにかく己が感じる充実のみを追求するといったものである。

これらの主義主張に優劣があるとは思えぬ。ただ単に、どのような出来事に充実を感じるかが各人で異なっているだけであろう。それぞれが自らの充実を追うのが肝要かと思われる。などといった結論めいた文章をくっつけて事足れりとする安直な似非エッセイは読むだけ時間の無駄である。