- 漢籍の手法

2009/07/17/Fri.漢籍の手法

白文を読み下せたら楽しいだろうなあと思う T です。こんばんは。

文章を短くする。私の積年の課題であるが、ある程度以上にそれを達成するとならば、最早漢籍の手法に頼るより他はないのではないか、と思うことがある。つまり、自分が知りたることは他者にも既知のことと決めてかかり、一切の解説を省くのである。

まだしも親しみ易い例を挙ぐるならば——、

漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、辺塞遮虜鄣を発して北へ向かった。

(中島敦『李陵』)

中島敦の文章は晦渋ではないが、上記『李陵』の冒頭にしろ、「天漢二年とはいつなのか」「騎都尉とはいかなる身分であるか」「遮虜鄣とはいずこにあるか」という説明は微塵もない。この方法は現代では通用しにくいだろう。誰も読まなくなる。

和漢の古典が持つ異様な密度は、この種の省略に依るところが大きい。冗長な、つまり他書——辞書に代表される——に記載されている事物については筆を費やさぬ。これを作者の傲慢というのは簡単だが、実行するには勇気が要る。「自分の文章を読んで理解してほしい」という世俗的な、しかし一般的な欲求に反する行為だからである。

忖度するに、古典作者の態度は論文執筆者のそれと同じように見える。論文においては、事実と、そこから導かれる論旨が本題である。それを論ずるに必須の要素は登場するが、余分な記述は捨てられる。既に書かれた情報は、当然知っているものとして扱われる。読みたい者だけ読め、わからなければ調べろ、勉強しろ、考えろという姿勢である。論文が示すこの態度は、読者が同業者であるという大前提に立っているわけだが——、そのような尊大な日記があっても良いのかも知れぬ。

漢籍の描写についても簡単に触れておく。漢字という表意文字を駆使することにより、描写に要する文字数が劇減し、結果行間が濃密になる。論文で専門用語や略語が縦横に使われるのと似ている。だがやはり、attitude と同様の問題も孕む。「家は絨帳穹廬、食物は羶肉、飲物は酪漿と獣乳と乳醋酒」(『李陵』) と書かれても匈奴の生活を具体的に想像することは難しい。

極まった文筆を理解するには読者にも努力が要求される。これは一種秘教的な考えであり、オカルトに近くもあるが、それゆえに魅力的でもある。