- Silent Biology

2009/04/08/Wed.Silent Biology

風邪気味の T です。こんばんは。

研究日記

病態理解という現象スタディは地味な仕事だが、医学が EBM を目指す上で避けては通れない道である。だが生物学的にはどうなのか。その意義について、最近の心境の変化を述べる。

「病気」という状態において分子的に何が起こっているのか。実は驚くほどわかっていない。研究の結果、逆転的な再定義——「病気 X において分子 Y が動く」から「分子 Y が動いているので病気 X だ」への移行——が行われることもある。このとき、前者の X と後者の X でニュアンスが微妙あるいは劇的に変化する。

病態 X と分子 Y の関係について、上に記した両者の理解には雲泥の差がある。前者が「結果として」分子 Y を捉える限り、病気 X には対処療法しか施せない。一方、後者が「原因として」分子 Y を理解するなら、病気 X を予防的に治療できるだろう。

病気によって様々な遺伝子が動く様 (∈ 病態) を調べるのは、forward genetics のようでもあり reverse genetics のようでもある。病態理解が難しいのは、病気の結果として起こる悪変と、生命を維持するための防御的な反応が同時に発生しているからである。これは genetics において、KO した遺伝子の下流が沈黙する一方、それを補うように redundant な遺伝子が活性化されるのに似ている。両者のせめぎ合いが破綻したポイントを、我々は phenotype として観察する。

「病気 X に対する防御反応 Z」が生物にあらかじめ備わっている場合、Z は、普段は silent かもしれないが紛れもなく nature な生命現象である。ある病態において発揮される機構は、例えばその origin を含め、もう少し生物学的に解釈されても良いのではないか。病態理解を、隠された生物学 (silent biology) として把握するのである。

病気は、実験生物学的には非常に軽微な異常かもしれないが、ヒトはその変化に極めて敏感であり、診療を通じて膨大なデータを蓄積している。これらの情報はまず臨床的 (疫学・統計学) に、続いて医科学的に利用されるが、もっと普遍的に使うべきである。モデル生物で得られた結果をヒトに応用してきたのとは反対に、ヒトで得られた複雑微妙で費用のかかるデータ (逆説的になるが、これは簡便なモデル生物では得られないものである) を他の生物に適用し、新たな地平を開拓できる可能性はないか。

そのような、アイデアともいえない茫洋としたことを考えている。