- Diary 2009/04

2009/04/28/Tue.

漬け物にハマっている T です。こんばんは。

GW は旅行に行く予定だったが、諸々の都合が悪化し、結局キャンセルした。

研究日記

4 月 24 日 (金)。De novo で再投稿した 3 本目の論文が reject された。一誌目で accept されるのは本当に難しい。「通ったら良いなあ」と背伸び気味で投稿するせいもあるが、manuscript の完成度が低いのも大きな原因だろう。投稿する前には色んな人に manuscript を読んでもらうが、その中には本当の意味で批判的な読者はいない。

4 月 27 日 (月)。夕方から病院に行き、29 日に開かれる M 先生昇進祝賀会の打ち合わせ。その後、ボス、元テクニシャン嬢、新テクニシャン嬢、元隣の研究員嬢、テクニシャン C 君で晩餐。

新しい職場は unhappy な状態が続いている。留学中の先生が帰国されたら、自分は病院か大学のラボに戻った方が良いのかもしれぬ。

どうしたら happy になれるか、淡々と考えている。ある意味で打算的である。

2009/04/26/Sun.

漬け物を買ってきた T です。こんばんは。

俺は漬け物が苦手で、壬生菜など特定のものにしか箸を付けてこなかったが、京都に来てからは色々と食べるようになった。歳を喰って舌が変わったからかもしれぬが、単純に、京都の漬け物が旨いというのが最大の理由だろう。

独り暮らしも 11 年目を迎えたわけだが、10 年間、毎日毎日コンビニ弁当を口にしているとどうなるか。食への渇望が凄まじいことになる。とにかく旨いものが食べたい。京都では、金を払えばいくらでも美味しい食事ができる。素晴らしいことである。別に食通を気取っているわけではない。旨いものを喰って、ひたすらに「旨い」と唸っているだけである。

「金を払えばいくらでも美味しい食事ができる」という現象は一考に値する。例えば、1 万円を出せば面白い本が読める、10 万円を出せば面白いゲームができる——かというと、そういうわけではない。これには諸々の理由がある。一つは、本やゲームがある種のマスプロダクトであるのに対し、料理は、その時その場に居る少数の人間に振る舞われる時限式少量生産品であるということ。もう一つは、俺が、本やゲームほど食事に対してレベルが高くないこと。要するに、料理に対する評価が甘い可能性。俺が「旨い旨い」と食べているものでも、食通にとっては大したものではないかもしれぬ。しかし「面白い」「旨い」は主観なので、自分が満足できればそれで良い。

それとも関連するのだが、「漬け物が苦手」だと、逆に漬け物の旨さがよくわかるという解釈もできる。つまり、よほど旨い漬け物でないと「旨い」と思えない。この観察は様々な分野に応用できる。苦手な物事を評価のバロメータにすると、やや厳しい判断を下すことができる。これは下限値である。反対に、自分の好むパラメータで評価すると、採点が甘くなる。これが上限値である。下限値と上限値が同じジャッジを下せば、それは素晴らしい (あるいはクソである) と判断できる。下限値と上限値が異なる評価を示す局面で、人は判断を誤りやすい。慎重に考慮すべきだろう。

「ラーメン道」的なものの存在がいまだによくわからぬ。なぜ「ラーメン」なのか。ラーメンの構成要素は、出汁、麺、具材というふうにほぼ固定されている。しかも、この三者は互いに (物理的に) 独立しており、各個での判断がしやすい。したがって、舌が粗い人間でもアレコレと語りやすい (= 競技人口が増加しやすい)。そういうことではないか。先日、ラーメンを啜りながら思い付いたことである。

2009/04/22/Wed.

今月はまだ一度もジムに行っていない T です。こんばんは。

ゲーム日記

MHP2G をまたぞろ起動してシコシコと遊んでいる。

1〜2 年前から、ゲームに対する姿勢が変化しているように感じる。言葉にするなら、「いかによく遊ぶか」。例えば、「最強」(最速、最大、最短など) という唯一のモデルを、何十万人ものプレイヤーが等しく目指してプレイしてしまう、しまわざるを得ないシステムが、ゲームとして限りなく貧しいデザインであること。商業的な要請によるその設定はしかし、自分の遊び方を制限するものではないこと。ゲームの裏表を充分に理解した上で、自分だけのためにプレイすること——。ようやく、そういう境地に達してきたように思う。

この過程は読書において、数年前に通過した。今はかなり自由に文章を読めるようになったと思う。「読み」は creative な行為である。他人とは共有し得ないという一点において、創造的なのだ。同様のことが、恐らくゲームのプレイにも成り立つ。他者への関心 (他人と物語の感想を共有したい、他のプレイヤーから称賛を得たいという想い) が自然に絶たれることで得られる孤立が、創造性に関係しているのではないか。これは、他者からの孤立が独自の表現様式に必要であるという考えとも通底する。

もちろん、それが最高の表現だと主張するつもりはない。そもそも、上記の志向においては「最高」という考え方自体が否定されている。

2009/04/18/Sat.

『レッドクリフ Part I』(ジョン・ウー監督) を観てきた T です。こんばんは。

『Part I』の続編である。『三国志』を知らない欧米人は、孔明が天才軍師と謳われる理由が (この映画からは) わからないに違いない。

本作において、ローマ帝国と同時期に、同程度以上の文明がアジアに存在した事実が視覚的に表現された。意義のあることだと思う。中国文明は三国時代以降、20 世紀に至るまで低迷し続けるわけだが、これもまた欧米人には不可解であるに違いない。儒教文明は、日本の天皇制同様に難解である。

欧州も暗黒の中世時代を経験した。それを打ち破ったのがルネサンスである。色んな運動があったはずだが、最終的に、キリスト教は破壊も決別もされなかった。興味深い。日本にもルネサンスがあり、武家政権の誕生がそれにあたると俺は考えている。古代において天皇家は有力な豪族の一つであったに過ぎない——という説を採るなら、「幕府」という在り方は実に復興的に思える。武家政権もまた天皇制を捨てはしなかった。

2009/04/14/Tue.

今日は早めに帰宅した T です。こんばんは。

研究日記

4 月 12 日 (日)。学会で東京へ。午後のセッションを聴講し、夕方のポスター発表でプレゼンテーション。日本語ということもあり、無難に終える。イブニング・セミナー後、ボス、研究員君、研究員嬢、新テクニシャン嬢、来月より勤務開始予定のポスドク氏で夕食。散会後、新宿にて 1 年半ぶりにジョー兄と呑む。元気な様子を見て安心した。

4 月 13 日 (月)。学会場には行かず、京都に直帰する。ラボに寄って培養細胞の世話。夜は京都駅附近で呑む。人生はままならぬものだが、我慢するにせよ打破するにせよ、自分の意思と判断で実行することが肝要かと思う。

ところで、今年は GW のド真ん中に旅行をする。4 年前に独りで京都へ乗り込んで以来、様々なことがあったが、この 1 年ほどで幾つかの事どもが実を結び、ようやく旅をする余裕もできた。単なる小旅行だが、個人的には感慨深い。楽しみである。

——と書いたところで、MO 君から Skype のメッセージが届いた。メールアドレスの件である。律義な男だ。これは Dr. ヒゲマンに教えてもらったのだが、最近、MO 君も論文を出したらしい。おめでとう。手前味噌になるが、論文が出たら色んな人に報告すれば良いよと勧めておいた。

てぇ〜い☆製作記

前回の続き。時間を見付けては少しずつイジっている。

MHP2G: shuraco

ちょっとは垢抜けた印象になっただろうか。瞳に虹彩とハイライトを入れたら随分とマシになった。レンダリングの設定を変更することで、頭髪の陰影も改良できたかと思う。

身体も造っていきたいが、頭身をどうするかで悩んでいる。低くすれば誤魔化しも効くが、武器や防具の描写に制約が生じそうな気もする。エロ装備スレの住人として、幼児体型にするわけにはいかないので、ある程度の身長を確保する方向でデフォルメすることになるだろう。絵心がないので心許ないぜ。

2009/04/11/Sat.

洗濯は「畳む」より「干す」方が面倒だと思う T です。こんばんは。

以下は文章に関する雑感であるが、文章に限った話でもない。

良いモノを作るには孤立が必要なようである。これは孤独とは違う。他者からの影響を排除するということである。これは摂取の制限とは異なる。物事を吸収しながら、大いに感化されながら、しかして自分の表現からはその影響を排除するのである。この繰り返しが様式を生む。これは創造者独自のものである。

(その独自性ゆえ、表面的な様式を他者が真似るのは容易である。これを剽窃という。剽窃は悪ではないが、様式論的には興味のあるものではない)

規則は厳格に適用されるべきである。一方、規則は柔軟に変更されるべきでもある。規則の適用および変更もまた、より上位の規則によって運用される。階層化された規則によって生成される系が様式である。規則を上位に遡ると、書き手の人格や倫理に辿り着く。「なぜそういう規則なのか」という問いには、人間性を持ち出さないと答え得ぬからである。文章が書き手の人格を反映する理由である。

孤立しているほど他者からの夾雑物が少なく、規則が厳格であるほど伝達が直截になる。結果、文章に投影される書き手の純度が高まる。個人の人格は unique にして尊貴であるという主義に立つなら、上記のごとき文章は「個性的である」といえる。現代社会はこれを善しとする。「良い文章」についての話は、およそ以上のように集約される。

一々に註釈を加えるとキリがないので短くまとめた。各論については機会があれば書く。「様式の独自性」「規則の適用と変更」「個性の反映」などは重要な問題である。これは同時につまらない問題でもある。結果として個性的なのか、個性の表現が目的なのか、前提が曖昧だからである。仕事ならば前者が望ましい。アートの在り方は後者だろう。手段と目的を取り違えれば、優れた様式も役に立たない。

2009/04/10/Fri.

昨日は仕事を休んだ T です。こんばんは。

眠ったら恢復した。ただの疲労だろう。

てぇ〜い☆製作記

MHP2G について考えていたら急に CG が作りたくなった。PSP は起動せず、攻略本を参考に素描してみた。モデルは我らが「てぇ〜い☆」娘である。MHP2 → MHF → MHP2G と、概算で 2000 時間ほど眺めた顔なので、脳内資料には事欠かない。

MHP2G: shuracoレイアレイアー

本当は泣きボクロがあるのだが、絵的に印象が弱かったので、萌袋 (うろ覚えなので名称を誤っているかもしれない。眼の下のピンクの楕円のこと。涙袋のようなものか) に変更した。全体的に強くデフォルメしているのは、いずれ身体や武器、防具も作ろうと思っているからだ。リアル路線はキツい。そもそも、ゲームと同じフォルムで作製しても仕方がない。ゲームやれよ、という話になってしまう。

そういう理由もあって、レイトレーシングではなくトゥーン・レンダリングで仕上げた。テクスチャは設定しておらず、モデリングも粗いが、一応の絵にはなる。素晴らしい機能である。

頭髪には少し苦労した。顔も下膨れているが、「だがそれがいい」と思う女ハンター使いも多いだろう。わかる方だけわかってくれればよろしい。

2009/04/08/Wed.

風邪気味の T です。こんばんは。

研究日記

病態理解という現象スタディは地味な仕事だが、医学が EBM を目指す上で避けては通れない道である。だが生物学的にはどうなのか。その意義について、最近の心境の変化を述べる。

「病気」という状態において分子的に何が起こっているのか。実は驚くほどわかっていない。研究の結果、逆転的な再定義——「病気 X において分子 Y が動く」から「分子 Y が動いているので病気 X だ」への移行——が行われることもある。このとき、前者の X と後者の X でニュアンスが微妙あるいは劇的に変化する。

病態 X と分子 Y の関係について、上に記した両者の理解には雲泥の差がある。前者が「結果として」分子 Y を捉える限り、病気 X には対処療法しか施せない。一方、後者が「原因として」分子 Y を理解するなら、病気 X を予防的に治療できるだろう。

病気によって様々な遺伝子が動く様 (∈ 病態) を調べるのは、forward genetics のようでもあり reverse genetics のようでもある。病態理解が難しいのは、病気の結果として起こる悪変と、生命を維持するための防御的な反応が同時に発生しているからである。これは genetics において、KO した遺伝子の下流が沈黙する一方、それを補うように redundant な遺伝子が活性化されるのに似ている。両者のせめぎ合いが破綻したポイントを、我々は phenotype として観察する。

「病気 X に対する防御反応 Z」が生物にあらかじめ備わっている場合、Z は、普段は silent かもしれないが紛れもなく nature な生命現象である。ある病態において発揮される機構は、例えばその origin を含め、もう少し生物学的に解釈されても良いのではないか。病態理解を、隠された生物学 (silent biology) として把握するのである。

病気は、実験生物学的には非常に軽微な異常かもしれないが、ヒトはその変化に極めて敏感であり、診療を通じて膨大なデータを蓄積している。これらの情報はまず臨床的 (疫学・統計学) に、続いて医科学的に利用されるが、もっと普遍的に使うべきである。モデル生物で得られた結果をヒトに応用してきたのとは反対に、ヒトで得られた複雑微妙で費用のかかるデータ (逆説的になるが、これは簡便なモデル生物では得られないものである) を他の生物に適用し、新たな地平を開拓できる可能性はないか。

そのような、アイデアともいえない茫洋としたことを考えている。

2009/04/07/Tue.

花粉と戦いながら散歩をしている T です。こんばんは。

観桜記

日曜日から今日にかけて、桜が咲き誇っている。日本人で良かったと思う季節である。

ここ数年は欠かさず桜の写真を撮ってきたが、今年は撮影しないことにした。桜はパッと咲いてパッと散る、それ故に我々は桜を愛する。桜を写真に固定するのは花見の精神と正反対の行為ではないか——。そんな気がしたからである。

それで気付いたのが、桜の絵の少なさである。松竹梅、菊、牡丹ほど描かれていないように思う。その愛され方に比して、桜の日本画は驚くほど少ないのではないか。機会があったら調べてみたい。

おばんざい

京都でよく見かける「おばんざい」という言葉だが、これは漢字で「御万歳」と書き、特に断りがない限り、帝に対して捧げる万歳を指す。都で官に任じられた者は、朱雀門から紫宸殿に向かって万歳を大唱し、百王相続と本朝の繁栄を祈念する。

現在でも、地方から京都に赴任してきた者は、年配の方から「おばんざいしてきはった?」と訊かれることがある。御万歳をしていない者は京都人として認めないぞ、というニュアンスが言外に込められている。もう 4 年前のことだが、引っ越してきたばかりの俺も、御所へ行って御万歳を捧げてきたものである。

御万歳は古式に則って行う必要がある。万歳の正式な作法は、明治時代に太政官布告第百六十八号 (いわゆる万歳三唱令) として明文化されている。

2009/04/01/Wed.

社会人ではなくなった T です。こんばんは。

研究日記

2009 年度が始まった。やるべきことに変わりはないが、書類上の身分に変更があったので記録しておく。

昨日で病院の職を辞し、本日からは日本学術振興会 (学振) の特別研究員 DC2 (大学院生用) となる。特別研究員には研究費の他に、研究奨励金が支給される。これは返還の要がない奨学金のようなものであり、給料ではない。学振と特別研究員の間には雇用関係はない。したがって、本日から俺は正真正銘の学生であり、いわゆる社会人ではなくなる。何となく気楽である。

以下は特別研究員制度、特に PD (ポスドク用) に対する疑念である。

特別研究員になった者は職に就くことができず (就いた場合は特別研究員を辞さねばならない)、この制度以外の研究費申請もできない。前者はともかく、後者の規定は致命的である。一種の飼い殺しではないのか。PD に支給される研究費は 150 万円/年を上限とするが、これは大した額ではない。例えば、文部科研の若手と萌芽は重複して申請することが可能だが、両者とも採択されれば上限 1000 万円/2 年ほどになる。他にも民間企業を含む各種団体の研究助成が多数ある。しかし学振特別研究員は、それらのどれにも申請することができないばかりか、他の研究者が主宰するプロジェクトの共同研究者になることすらできない。

また、PD の配属先は、原則として出身研究室以外のラボしか認められない。これは人材の流動性を高めるためと説明されるが、それが無条件に良いことであるかは疑問が残る。これまでのラボで行ってきた研究をさらに発展させたいとき、あるいはこれまでの結果によって研究費の獲得が見込めそうなとき、学振という選択肢は制約が多過ぎる。

学振は特別研究員の理念を次のように謳う。

「特別研究員」制度は優れた若手研究者に、その研究生活の初期において、自由な発想のもとに主体的に研究課題等を選びながら研究に専念する機会を与えることにより、我が国の学術研究の将来を担う創造性に富んだ研究者の養成・確保に資することを目的として、大学院博士課程在学者及び大学院博士課程修了者等で、優れた研究能力を有し、大学その他の研究機関で研究に専念することを希望する者を「特別研究員」に採用し、研究奨励金を支給する制度です。

(特別研究員 - 日本学術振興会)

とんでもない悪文で書かれた上記の目的を達成するには、PD に支給される研究費・研究奨励金は低額に過ぎないか。「我が国の学術研究の将来を担う創造性に富んだ研究者」にとって魅力的なプログラムではないと思う。本当に優れた博士はまず学振には応募しない、という現象もないではない。何となく中途半端な制度なのである。

色々と書いたが、大学院生用の DC は良いプログラムだと思う (自分が貰うものなので一応フォローしておく)。また、俺のような半端者にとって、PD が登竜門的な制度であることに変わりはない。1 年後、申請書を書いているかもしれない。

ただ、科学に関心のある 1 人の市民として見たとき、学振特別研究員という制度は、天才を育てるのではなく秀才を支援するという色合いが強く、極めて日本的な制度であるという感想が強い。日本で最も有名な若手研究者プログラムとしては、いささか寂しいものがある。世界に通用する業績を持っている人は、どのように考えているのだろう。